こんにちは舞香です




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昨日は、2時間もかけて書いた渾身の記事が公開直前に消えるという悲劇が2回も起こり、「これは何かの陰謀だぁー
」と言いながら酒に溺れていたので、更新をお休みさせて頂きました

今日のお話は「信じる」ということについて。
たまたま、こんなつぶやきを目にしました。
「今日はすごく怒ることがあった。それでも私は人を信じたい。」みたいな。
だいぶ端折ってますが、そんな感じの内容でね、それに対してのコメントも「うんうん分かる〜!それでも信じたいと思えるなんて素敵!」と共感の嵐だったわけですよ。
それを読んだ時ね、なんとなーく違和感を感じたんですよ。
魔法的にね、なーんか気持ちわるいぞ〜って思ったの。
その違和感の正体がさっき分かりました。
そもそもさ、「人を信じる」ってどういうことよ?
自分が「嫌だと感じる」ことをされたけど、人を信じるって言うけど
つまり、それってさ
「人を(自分の都合の良い言動をとってくれるようになると)信じる」っ言ってるわけでしょ?
・・・無茶苦茶じゃね?
それって無茶苦茶じゃね??
「信じる」って言うか、「期待する」ってだけでしょ?
人から自分が嫌だと感じることをされた
↓
嫌だと感じるということは、自分の中に何かしらのたぬきがいるけど、自分を変えるのはやだ
↓
相手が自分の都合の良いように変わってくれるように信じる(勝手に期待する)
って、ことなんですよね。結局。
それをなんか良い話みたいに書いてあったので、私の中では違和感の嵐だったんです。
この行為自体がわるいわけではありませんよ。
誰だって内観するのがツラい時もあるし、人のせいにしたくなる時もある。
だけどね、システムとしてね
どんだけ信じようが(期待しようが)自分が変わらない限り、同じことが繰り返されるだけなんです。
そーする相手が嫌いだからって離れたとしても、今度は別の人間を通して、同じ感情が引き起こされるだけです。
だから、今回の例で言う「人を信じる」って
例えるなら、今 自分が太ってるとして、鏡みて太ってる自分を見るのがいやだから
「それでも私は鏡を信じる!いつか痩せている姿を写してくれるハズだ!!」
って言ってポテチをバクバク食べるのと全く同じなわけです。
それに対して、なまあたたかい目で見るならまだしも、「共感する」だの「感動した」だの言う方が沢山いることにビックリしました
変わりたくない時に無理する必要はありませんが、遅かれ早かれ気が付かなきゃいけない時がきます。
なので自分の話に共感してくれる人だけじゃなく、自分に気づきを与えてくれる(一見するとイヤな人かもしれない)人も大切にすると、変わるスピードが早くなりますよ
孫子の言葉でこんなんがあります。
『友を近くに置け、敵はもっと近くに置け』
では
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