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BASKETBALL & STREETBALL


- 日本初のストリートボールリーグ誕生編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

 


「参戦チーム(候補)」

 

2005年8月上旬のKOMPOSITION定例で、ホワイトボードにこう書かれたその下には、
・FAR EAST BALLERS
・TEAM-S
・勉族
それと数チームの名前が並んでいました。

 

“チーム数が絶対的に少ない”

 

ぶち当たった根本的な問題です。
さらにチーム間にあるレベルの差、毎回確実に出場してもらえるのか、そして人前で披露できるクオリティーのゲームがいつも成立するのか、いきなり暗礁に乗り上げた状態でしたね。

 

どう魅力的なリーグに仕立てるかの前に、リーグの体を成すので精一杯では、正直上手くいくイメージは全くしません。

 

会議は硬直し、また終電の時間となりました。

 


そんな最中の鳥栖でのエキシビションゲーム。

 

バスケの為なら全ての予定を空けられるFEBが主な参加者であり、自分達で一からすべて設営、3チームによるBATTLE ON THE COURT、そして真夏の熱帯夜での開催など、昨年の沖縄ツアーと重なる点が幾つもありました。

 

あの強烈な体験を思い返していると、必然的にDVDにも収録されている、深夜ミーティング後にAJが言ったフレーズが頭をよぎります。

 

“FEBはチームじゃなく個性の集まり”

 

”別々になったとしても、また集まったらその時のフィーリングでプレーする”

 

ストリートボールで重要視されるもののひとつに「個性」があると、我々は鳥栖で無意識に再認識していたのでした。


鳥栖から帰ってきた翌日の定例会議。いい加減リーグの具体的な内容を確定させる時期。

 

ここでついに革新的なアイディアが生まれます。

 

“ストリートボールのリーグとして「個性」を売りにするのであれば、「個人」で参戦すればいいのではないか”

 

チーム数が足らないなら、個人戦でリーグをやるという逆転の発想ですね。

 

この思い付きが突破口となって、次々とそれを成立させるためのディティールが決まっていきます。

 

毎回個人をシャッフルして即席チームを作る、勝敗で個人にポイントを付与、個人ランキング制、最終的に一人のチャンピオンを決定する。

 

この時ほど熱を帯びた会議を経験したことはありません。

 


個人ポイントを争うのであれば、5on5から1on1まで、会場に合わせてどんなゲーム形式でも実行できます。

 

また、登録人数にある程度のバッファを持たせておけば、ケガや仕事などで出場不可となっても、シーズン全体の中で調整し、出場回数を均一にすることが可能。

 

ビジネスモデルのひとつとして考えていた“個人スポンサー制度”にも好都合。

 

そして何より、色々なチームや環境にいる花形選手を集めた、常にオールスターのようなゲームを展開できる。


苦肉の策ではなく、最善の妙案。
これでいけるぞ、そう全員が確信した記念すべき夜でしたね。
 



その勢いのまま、翌週の議題は「リーグ名」です。
それまではとりあえず「FAR EAST LEAGUE (仮)」と表記していました。

 

各人が幾つか案を持ち寄り、ホワイトボードに列挙し、投票により決定です。確か「SOUL」や「ROOTS」なんて名前もありましたね。

 

そして投票の結果、株式会社フロム・ザ・ストリートが運営する日本初のストリートボール・リーグの名称は、「LEGEND」に決定したのでした。

 

つづく>