※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
振り返れば、黎明期まるだしだった昨年よりも、日本のストリートボールが大きく進化できた一年となりました。
そして暮れの忘年会シーズンを迎えたFEB。我々クラブ以外では酒を飲むなんて習慣はありません。
しかし、5月の「MTV THE SUPER DRY LIVE」の打ち上げで和民に行った以来となる居酒屋にて、初の忘年会を開催。
2003年は日々切羽詰まっていて、忘年会をやろうなんて考える余裕は全くなかったですね。
2003年は日々切羽詰まっていて、忘年会をやろうなんて考える余裕は全くなかったですね。
YONEが予約してくれた円山町の古びた居酒屋が会場となりました。2階のお座敷は我々のみだったので、やりたい放題確定なわけです。
開始は22時とかなり遅め。クラブでオールする前提の時間設定ですね。
大いに身内びいきながらも、みんなよく頑張ったと言える1年だったので、会はそれはそれは盛り上がりました。
そして次第に、沖縄ツアー後の打ち上げをも超える事態へと突入していくことになります。
自分は座敷の一番奥の壁際で全体を俯瞰していましたが、その反対側で驚きの光景が。
恐らく何かにサインするために用意されたマジック(水性)が悪用され、MAMUSHIの顔に落書きしだすJUN。YOHEIもそれに便乗して書いていたと記憶しています。
どんな流れでそうなったかは不明。
どんな流れでそうなったかは不明。
しかし会の終盤には素の顔に戻っていたので、不幸中の幸い、きれいに拭き取れたようです。
一方、別の方向に目をやると、CHRISとMATSUが他の人は誰も見ていないのに、何かを一生懸命踊っています。
どんな流れでそうなったかは不明。
どんな流れでそうなったかは不明。
そして無情にもお店は飲み放題の2時間制。0時には強制退去です。
この忘年会の締めとして、加えて2004年のFEBの活動の総決算として、YONEがアーノルド・シュワルツェネッガー主演映画の名シーンの再現を披露。YONEは当時これを得意技としていて、沖縄のカーニバルパーク・ミハマでも、ゴールを入れていた段ボールを巧みに使用して撤収時にやっていましたね。
これにより、まさしく“IT'S OVER”となり、総勢20名の一団はCLUB HARLEMへ直行したのでした。
その後も散々遊んで朝の5時。さすがに解散です。
体力が残っているメンバーはふらふらと駅へ。
廃人と化した何人かは、HARLEMから徒歩2分のKOMPOSITIONオフィスに侵入。
こんなこともあろうかと、予測される事態を説明して、自分が合鍵をお借りしていました。
そしてメンバー達はジョーダンコートで使用される備品の前ですやすやと夢の中。
しかしコンポジの人達が来る前にはしっかり叩き起こし、ようやく帰路に着いたのでした。
そんなろくでもない朝から遡ること十数時間。2004年12月18日の19時です。
実は開始時間が22時だったのにはクラブに行く以外にも理由がありまして、沖縄ツアーのDVD等で使用するために、“アー写”の撮影を代々木公園の歩道橋の下の白壁で行っていたのでした。
当時の我々のあらゆる撮影、そしてDVDの編集も一手に引き受けてくれていたハナワ君が、プロのカメラマンさんを呼んでくれ、本格的な撮影を敢行。
風吹きすさぶ極寒の中、慣れない撮影に戸惑いながらも無事全員撮り終えました。その成果が以下となります。
これにて2004年は完結。
翌2005年は間違いなく、日本のストリートボール史を記す上で最も重要な一年となります。
つづく>