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DJ MIKO blog

BASKETBALL & STREETBALL

- FAR EAST BALLERS奮闘編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

 


この連載における第一章完結の年と言える2005年が到来。
その後の日本のストリートボールシーンの基盤となる重大なことが次々起こります。

 

それらが始まり出すちょっと前、年が明けて少し経った1月15日(土)の夕方。自分は電車を乗り継いで、千葉の海浜幕張駅に向かっていました。




前年くらいから有難いことに、時折雑誌に取材されていたFEB。知名度も少しは上がって来ていたかも知れません。

 

その中でも特別なケースとして登場したのが、当時NYで制作されていたストリートボール雑誌「BOUNCE MAGAZINE」。
なんと日本のストリートボール事情の特集記事があり、宮崎健吾さんやTEAM-Sなどと共に我々も取材を受けたのでした。





特集のタイトルは「HOOPLESS NATION」。海外とは異なり、街中にHOOPが滅多にない日本人の状況が記述された貴重な内容です。

 

そして同号の別ページに載っていたのが、Bobbito Garcia率いる「Project Playground Basketball」。後のBlock On Lockも理想としていた最高のパフォーマンスクルーです。

 

その中で当時のフロントマンだったのがRamon Rodriguez。ラモーンです。Thaliaの2003年の名曲「I Want You」のMVにも出演していましたね。
 






そんなラモーンが2005年1月に来日。
幕張メッセで行われる「東京オートサロン 2005」のTOYOTAブースでパフォーマンスをするためです。

 

そしてそこに日本勢としてキャスティングされたのがMATSUとHIDE、そしてMCとしてCHRISだったのでした。








イベントは1月14~16日の3日間に渡り開催され、自分が会場に着いたのは15日の夕方。
その日最後のパフォーマンスを観て、CHRISのホテルの部屋に一緒に泊めてもらいました。さすが天下のTOYOTAさんだけあって、高層階のとても豪華な部屋でしたね。

















翌日は1日彼らに同行。
FEB以外は全員海外から来たパフォーマー達で、ダンサーやトランポリン・ダンカ―が入り乱れる華やかなショーケースです。

 

1日に複数回のステージ、そして3日目なので、裏ではラモーンも疲労困憊の様子でしたが、本番での動きのキレ、そして何より“表情の豊かさ”にMATSUとHIDEはとても感服していましたね。

 

そんな表現力を持ったラモーンは、その後俳優へと転向することとなります。






こんな素晴らしい機会、本来なら3日間とも立ち合いたい所なのですが、自分が幕張に到着したのは2日目の夕方。

 

その日の昼間に別の大事な現場があったのでした。

 

それは恵比寿にある公民館のような施設で、地域の子供達にバスケットボールのクリニックを行うというお仕事です。そもそもMATSUとHIDEは参加できないこと、そして事前に伺っていた現場の広さや参加者数などの諸条件を考慮しまして、AJと自分というミニマム体制で会場へ。

 



現場に通されると、そこは会議室。もちろんゴールはありません。集まった参加者の子達は元気いっぱいの幼稚園児。

 

クルー内の役回り的に、いつもキッズの人気者になって一緒に盛り上がっていても、絶対に目は笑っていないAJが、最も苦手とする年齢層ですね。





音響設備は小さなCDラジカセだけだったので、CDを入れて、AJとアイコンタクトをとって再生ボタンを押して、クリニックがスタート。

そこから1時間、AJと幼稚園児達との笑顔に溢れた賑やかな時間が流れたのでした。


“本当に疲れた”

 

終わった後にぐったりとするAJ。

 

“よく頑張ったと思うよ”

 

そう声を掛けました。

 

“じゃあ俺は今から幕張メッセ行くから”

 

建物を出た時、今回のイベント名が記された看板が目に入りました。

 

「渋谷 子育てメッセ」

 

“エージ、同じメッセでもマツヒデ達とはだいぶ違うな”

 

”もう俺の時代じゃないんだよ”

 

”リーダーも大変ですね”

 

そしてJR恵比寿駅のプラットフォームで2人は別れ、自分は海浜幕張駅を目指したのでした。

 

つづく>