DJ MIKO blog -15ページ目

DJ MIKO blog

BASKETBALL & STREETBALL

- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。


Dyckman初戦。対 Da Young Ones。
ゲーム開始当初は完全に空気に飲まれていましたが、そうは言っても元インカレMVPのCOHEY、日本のストリートでは無双のATSUSHI、アメリカのストリートの経験豊富なAJ、そして勿論CHRISやJUNなども擁するFAR EAST BALLERS。やられてばかりではありません。

 

さらに今回の相手は名前の通り、Dyckmanの中でも若手のチーム。
常に相手ペースではあったものの、徐々にFEBらしいプレーも出始めます。







最初のうちは会場中から冷笑されていましたが、ATSUSHIの“黄金の一歩目”からのドライブが炸裂したあたりから、段々と空気が変わっていきます。


半笑いだった表情は真顔になり、「日本人にしてはなかなかやるじゃん」といった感じで、こちらがシュートを決めるとパラパラと拍手も起きるようになっていきました。
 

そして前半は24対33の9点差で終了。
















後半が始まり、観客も公開処刑を観に来たという雰囲気ではなく、単純に良い試合を期待している様子へ。FEBのプレーが次第に認められていく過程はとても誇らしいものでした。

 

そして、どんな試合でもここぞの場面を見計らって見せ場、もしくは波乱を作り出すAJが、そんな空気をひっくり返すべく動きます。

 

またもダンクを決められ攻守が変わり、自分達のコートへボールを運ぶ途中、おもむろにセンターサークルでフリースタイルを披露。面白がる観客もいれば、なめんじゃねぇと一気に殺気立つ観客も。

 

いずれにせよ会場の熱量は高まり、“やり返せ”で満場一致。このゲームで一番スリリングな瞬間の到来です。


その瞬きを見逃さないDJ。
基本的にゲーム中は無音なのですが、ここの攻守が切り替わったタイミングで以下の曲がかかります。

 

Snoop Dogg「Drop It Like It's Hot」

 

あの特徴的なイントロが流れると同時に観客はどよめき、一気にスタンド席の半数近くが立ち上がります。
そこでボールを持ってゆっくりとボールを突き出したのが、

 

Adris De Leon a.k.a “2 Hard 2 Guard” 。

 

当時20歳。Dyackmanの地域にあるドミニカ人コミュニティーの選手です。
後に、Dyckamanはもちろん、West 4th、Rucker Park、Pro City、Hoops in the SunなどNYの様々なコート、世界各地のプロチーム、さらにドミニカ共和国代表として活躍することになります。
 


そして、Da Young Onesのポイントガードでありエースだった彼とマッチアップしていたのは、FEBのポイントガードでありエースだったCOHEY。

 

気付けば総立ちとなっているDyckman Parkで、Kennyが煽り、Snoopの曲が鳴り響く中、

 

「2 Hard 2 Guard vs 青木康平」

 

の開幕です。





“コーヘイここは頼んだぞ”

 

FEBクルー全員がそう祈るや否や、いきなり2 Hard 2 GuardがCOHEYにヘッドポンプ。

 

当時はAND1の影響で、日本でもヘッドポンプをやろうとする連中は大勢いましたが、COHEYはそんなのは常に一蹴して瞬殺していました。

 

しかしここではものの見事に成功して、観客は大喜び。
おでこにボールをぶつけられるわけで、当然頭に血がのぼり、ムキになって密着してディフェンスをするCOHEY氏。

 

”この流れはまずい”

 

FEBクルー全員がそう焦るや否や、2 Hard 2 Guardがボールを持った手を素早くCOHEYの頭の後ろに伸ばし、空中へポンと飛ばします。

 

頭の後ろ→頭上という流れでボールが完全に死角に入ったCOHEY氏。

 

ストリートボールの観衆の大好物、ボールを見失ってあたふたする姿を、あの青木康平がNYで披露してしまいました。

 

その光景を直視したメンバーは、後にこう語ります。

 

”スローモーションに見えた”

 

“これで俺達はもうダメだと思った”

 

”あぁコーヘイさんがやっちゃってる”

 

ボールを探して後ろを向き、状況に気が付いて振り返った時にはもうドリブルで抜かれており、さらにそのままアリウープのダンク。

 

会場は大爆発。この日の文句なしのハイライト。
この瞬間、ご本人はこう思ったそうです。

 

“俺のバスケットキャリアが終わった”








COHEY曰く、“俺はそれ以降の記憶がない”とのことですが、試合結果は73対63。
決して最後まで緩いゲームにはなりませんでした。

 

終了時には相手チームも観客も、心から健闘を讃えてくれ、この日のFEBがDyckmanに認められたのは間違いありません。

 

ただ負けは負け。落ち込むメンバー達。
現在でもCHRISとこの試合について話すと、“勝てる試合だった”と悔しさを滲ませますね。








さくら亭に戻り、着替えもせずにそのままミーティングを行います。

 

ここでも“録れ高”を意識するAJが、かなり強めの口調で問題提起をします。初戦を負けて喧々諤々やっている映像素材を残したいわけですね。
ただそれを求めるが余り、かなり抽象的な論点が続き、一同は次第に困惑。CHRISが思わず、

 

“怒ってるのは十分わかったけど、何について?”

 

と的確な質問をしていましたね。自分も撮影しながら”だよね”と思っていました。

 

一方、バスケ人生最大の恥ずかしめを受けたCOHEYは、そのきっかけを作ったAJに“おまえのせいで”と八つ当たりをし、さらに無関係なJUNも“おまえもおまえだ”と謎のとばっちりを喰らうはめに。



どこまで実のある内容だったかはさておき、こうして1時間に及ぶミーティングは終了。日付はとっくに変わっていましたね。

 

とてつもなく長かった一日。体力は限りなくゼロに近い状態。しかし、ここで寝てしまってはストリートボーラーじゃない。

 

東京と変わらず、いざNYのクラブへ出動です。
 

 つづく>