DJ MIKO blog -13ページ目

DJ MIKO blog

BASKETBALL & STREETBALL


- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。




2005年6月17日(金)の20:00過ぎに試合開始。
相手はNY最強とも謳われていたDominican Power。

 

それから遡ること3時間。
さくら亭を出発する直前、COHEYは日本にいる当時の彼女に国際電話をしていました。

 

“生きて帰ってこれないかも知れない。今までありがとう”





「本場NYのストリートに挑戦」だったはずが、ドミニカ国旗を掲げる観客が煽るなか、「ドミニカ共和国 vs 日本」という国際試合の様相を呈していたこの日のDyckman Park。

 

COHEYの電話での予言の通り、ただでは済まされない空気の中で試合が始まりました。

 

そして案の定、いきなりFEBは窮地に追い込まれます。
開始早々、Dominican Powerはいきなりオールコートプレスを仕掛けてきたのでした。

























圧倒的なフィジカルの差と、高いバスケット技術の前に、ハーフコートまで持っていくのが精一杯のメンバー達。こちらがあたふたする姿に大喜びの観衆。レフリーすらも思わず苦笑いです。
 
まさしく公開処刑となっている会場。
異様な雰囲気の中、興奮が着実に高まっていく様子をビデオカメラを構えながら眺めていました。







バスケットボールにおいて、後にも先にもこれほど絶望的な状況は思い浮かびません。コート上もベンチも、みな表情が引きつっていましたね。

 

しかし、そんな中でもいつもと変わらぬ涼しい顔をしていた人物が1人だけいました。

 

ATSUSHIです。



“俺はあんな環境は慣れてる。みんなはガチガチだったけど”

 

後にそう語ります。
試合開始後、全然ボールが回ってこなかったATSUSHI。しばらくしてようやく自分の時間が訪れ、その一本目を見事決めます。

そしていくら劣勢な中でも、こちらの良いプレーが生まれると、Da Young Ones戦同様に徐々に観衆も認め始めます。そうして少しは空気が和らいだかと思った矢先、そのATSUSHIが逆にやらかします。


マークマンを抜き去りドライブインからのシュート。それを相手のビッグマンが豪快にブロックしてボールは遥か彼方へ。
観客はまたも大盛り上がりですが、判定はゴールテンディング。

 

得点を決めて颯爽とスタンド席側を通ってディフェンスへと戻るATSUSHI。観客に対してはいつも通りのドヤ顔です。

 

そしてその途中、コートサイドに立っている少女が目に入ります。その10歳にも満たないであろう少女は、真顔でじっとATSUSHIを見つめていました。

 

中指を立てながら。
 

カチンときたATSUSHI。
反射的に首の前で指を左右に振る仕草、いわゆる“首切り”のボディランゲージをします。

 

それを見た観客が、全員に向けてやったと捉えて瞬時にヒートアップ。
少しこちらを応援し始めていた人達まで、立ち上がって一斉に叫び始め、コートにはペットボトルやプラカップが投げ込まれて騒然となり、試合は中断。

 

これまでのプレーで築き上げたものが完全に崩壊し、試合開始時以上のアウェー空間の誕生です。

 

それでもATSUSHIは平然としていましたね。


Kennyの懸命なアナウンスにより場内は一旦落ち着き、10分後にはなんとか再開。殺伐とした空気のまま前半が終了。
得点は43対15で、すでにトリプルスコア目前でした。

 

“どうすりゃいい”と悲壮感の漂うFEBベンチ。これだけ点差がついても後半に向けて真剣に話し合うDominican Powerベンチ。

 

そして引き続き荒れた空気のままの観客席。ATSUSHIの首切りに、いまだ腹の虫がおさまらない何人かが騒いでいましたね。





いよいよ後半開始の時間になります。しかし試合は始まらず数分が経過。
混沌とした空気感の中でKennyが放った言葉は、“試合中止”だったのでした。

 

中止の理由としては、まず「この状況では安全にゲームが行えないこと」、そして試合中に何度もKennyが警告していたにも関わらず「パーク前の違法駐車がそのままであること」です。
 
これから大会が長期間開催されていくので、ここで違法駐車を黙認するわけにはいかないという、リーグ側の確固たる姿勢を示した判断でした。



このアナウンスにより、いきなり解散となった観客でごった返すコート上。まさにカオス状態でしたね。

 

やるからには当然最後までプレーしたかったメンバー達は茫然としていましたが、ある意味ほっとしているようにも見えました。



これにてDyckmanでのゲームは最後だったので、リーグ側のご厚意で色違いのDyckmanユニフォームが全員に贈られ記念撮影。
 
不思議なもので、色々大変な目に合ったパークなのに、去る時はなんだかとても名残惜しかったですね。
 









こうして誰も欠けることなく生きて帰ってこれました。COHEYも彼女に生還を報告したことでしょう。


そのCOHEYは帰り道でこう言っていました。

“人生で一番強い相手だった。日本代表でも勝てないと思う”

そしてどんな試合であっても常に活路を見出そうとするCHRISに、勝てる可能性はあったか聞くと即答で、

“絶対無理”

でしたね。清々しかったです。


しかしNY地獄めぐりはまだまだ続きます。

早速翌日には、Dyckmanよりも治安に難ありと言われている地域、低所得者層向けの集合住宅「プロジェクト」に囲まれたコートへ向かうのでした。

 

つづく>