※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
2005年6月16日(木)の午前1時。
Da Young Onesとの一戦を終えて日付を跨いだ我々は、なぜかYシャツに着替えていました。
試合の後、翌日がオフか夕方練ならクラブへGO。
それが結成時からの信条であるFEBは、渡米前にDJ KAORIさんにお願いして、この夜にNYのクラブでゲストを取ってもらっていたのでした。
ただし、“ドレスコードがあるよ”と聞いていたので、メンバーはただでさえ大荷物なのに、Yシャツとスラックスを日本から持参。自分は現地のOLD NAVYで適当に調達しましたね。
しかし、体力と精神力の限界を迎えたメンバーもやはり多く、実際に行ったのはAJ、ATSUSHI、YOHEI、MATSU、K-TAと自分。
ドレスコートがあるハイソなクラブとはどんな所なのか胸を高鳴らせ、深夜のNYを闊歩。
そしていざ到着すると、全くドレスコートなんてなく、おのぼりアジア人が場違いな格好でご訪問といった状態に。
そしていざ到着すると、全くドレスコートなんてなく、おのぼりアジア人が場違いな格好でご訪問といった状態に。
恥ずかしさに負けずフロアに行ってみると、伝説的なDJである“DJ Spinna”が普通にプレーしていて、自分は一人で興奮していましたね。
とはいえ流石に長居はできず、1時間ほどで退散。3時には我々も気絶するように就寝したのでした。
この日は疲れを癒すため、起床時間は決めずに全員寝まくり、ようやく起きだしたのは13時過ぎ。
目の前のパークで軽くコンディショニングを行い、その後はオフとなりました。
そして“吉野家がある”との情報を得て、日本食に飢えていた何人かでお店に行くと、白人女性の店員さんにこう言われます。
“あなた達FAR EAST BALLERSでしょ。明日の試合頑張ってね”
Dyckmanへ挑戦しに来た我々の噂は、そこから大分離れたマンハッタンの吉野家の店員さんにまで伝わっていたのでした。驚きと共にとても感動しましたね。
若干日本と味が違いましたが、NYで食べる牛丼は本当に格別でした。
いよいよ2005年6月17日(金)がやって来ました。
今回のNY挑戦のハイライトといえる日。Dyckman Basketball Tournamentでのエキシビション2試合目です。
相手は昨年の同大会のチャンピオンチーム「Dominican Power」。
Da Young Onesの2 Hard 2 Guardと同じく、この地域のドミニカ人コミュニティーのチームです。
それ以上の情報は自分達にはありませんでしたが、ウェブサイトの対戦カードに記載された選手名(a.k.a)を見るだけでも、その厳つさが想像できましたね。
もはやお馴染み「Basketball City」に午前中に行って練習を行い、その後は出発時間まで休息。
まさにTGIFなゴールデンタイム、金曜20:00試合開始に向けて、17:00にはさくら亭を出発です。
今回は老婆にも遭遇せず無事到着。パーク前にはNew York Knicksの車が停まっていましたね。
さくら亭で知り合った日本人旅行者の方々も応援に来てくれ、気付けばかなりの大所帯。
先日同様、自分達の前の試合をみんなで見学しました。
先日同様、自分達の前の試合をみんなで見学しました。
そしていよいよアップの時間です。
赤いユニフォームに身を包んだDominican Powerが登場。FEBとは高校生と大人のような対格差です。
それだけでも圧倒されましたが、前回よりも明らかに密集率の高い会場の様子に戦慄することになります。
この地域に住むドミニカ人が大挙詰めかけており、今回の試合はただのエキシビションではなく、以下の構図となっていたのでした。
「ドミニカ共和国 vs 日本」
ドミニカ国旗の色に塗られたブブゼラが高らかに鳴り響くと、大きな歓声が沸き起こるスタンド席。
人生最強のアウェー体験のつもりだったDa Young Ones戦が可愛く思えてきます。
その時の我々に対する反応は“ノコノコやって来たカモ”といったゆるい感じでしたが、今回は全力で叩きのめす敵を睨み付けるような眼差し。
当然の如く、スタメン紹介の時はブーイングの嵐でした。
そして、Dyckman Park名物である1 Trainが走り抜けるなか、究極のアウェー戦が幕を開けるのでした。