- FAR EAST BALLERS奮闘編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
我々が泥のように眠っているその日中、「MICHAEL JORDAN ASIA TOUR 2004」の目的地のひとつとして、渋谷にマイケル・ジョーダンがやって来ました。
代々木公園を筆頭にHOOP寄贈を全国で行っていたNIKE JAPANの活動の一環でもあり、ジョーダンが来日した記念として、この日、美竹公園に「JORDAN COURT」が誕生。
ジョーダンによるテープカットや手形の作成が行われたのでした。
ジョーダンによるテープカットや手形の作成が行われたのでした。
翌日の東高円寺練習では、目の前にジョーダンがいるという感動の光景について、みんなで根掘り葉掘り聞きましたね。







一週前と同様に始発まで盛り上がったわけですが、夜が明けて昼になれば大事なお仕事が待っていました。
そしてその場所で、今後のシーンにとって最重要となる出会いが待っているのでした。

HOOP寄贈同様、NIKE JAPANが社会貢献のために行なっていた子供達へのスポーツ推進活動。
FEBはバスケ部門を担当させて頂き、当時は都内の色々な施設でクリニックを行っていました。
その流れでこの日、渋谷区のコミュニティ施設で行われる「せせらぎまつり」にも出動。
朝帰りだったAJとTANAと自分、そしてKYOSHIを含む練習生数名という布陣にて、ちびっ子達の前に登場です。
帰りの車の中で、AJが“あいつはいいな”とTANAの働きを褒めていたのを覚えています。なのでその後のクリニックでは、常にTANAがパートナー役を務めることとなりました。



このクリニック活動、当初こそNIKEの方が帯同していましたが、それなりに信頼を獲得したのか、途中からはFEBのみで訪問するかたちになっていました。
この日の「せせらぎまつり」も我々だけでノソノソと会場へ到着。そこで出迎えてくれたのが、渋谷でアートやスポーツのイベントを企画するNPO法人「KOMPOSITION (コンポジ)」の方々。
そして手際よく控室や現場にアテンドをしてくれていたのが、同法人の専務理事でもあった秋葉さんだったのでした。


とは言えこの時点では、我々にしてみれば、数あるクリニックの会場でお世話になるスタッフさんの1人くらいの認識でした。
しかしどうやら秋葉さん、そしてコンポジ側には、FEBとの出会いに特別な感覚があったと後々知ることとなります。
FAR EAST BALLERSとKOMPOSITION。
その後の日本のストリートボール発展に奮闘するこの2団体が再会するのは、その年の夏。
再会の場所は、まるでバスケの神様の思し召しかのように、あの美竹公園「JORDAN COURT」なのでした。
再会の場所は、まるでバスケの神様の思し召しかのように、あの美竹公園「JORDAN COURT」なのでした。