【連載】日本のストリートボール史 vol.3 | DJ MIKO blog

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BASKETBALL & STREETBALL

- FAR EAST BALLERS誕生編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

 


青山キャンパスでAJと初対面した翌週。
早くも初の舞台、LIZ LISA主催イベントでのAJによるボールパフォーマンスの夜がやってきました。DJは桜美林高校の一つ上の先輩DJ PEGで、CHRISと自分はMICでAJをサポートする座組に決定。

 

会場へ向かう前、京王線仙川駅近くのDJ PEGの自宅にて、ステージの構成や使用音源を確認。そこで1点問題になったのが、

 

“このパフォーマンスはなんて呼べばいいの?”

 

まだ「FREESTYLE BASKETBALL」という名称が少なくとも日本にはなく、その場で床に座りみんなで思案。そして決定した呼び方が「BALL ROCKIN'」。今後しばらくの間はこの呼び名で色々な舞台に立つこととなるのでした。

 


当時全盛期だった“渋谷のギャル”だらけのイベントで、どう考えても浮いているBALL ROCKIN' SHOWをなんとか終え、逃げるように退散。

 

両手の指で数えられるくらいの人数しかこちらを観ていませんでしたが、ここでの経験により、コート上でプレーする以外にもストリートボールには表現方法があることを学びましたね。

 

そして結果的に、観衆の前で実際に試合を行うのは翌年の5月。それまではこのBALL ROCKIN'こそが、FAR EAST BALLERS(当時はFAR EAST BALLS)が人前に立つ唯一の手段となったのでした。



CHRISの母親の書斎での宣言に始まり、avexでのCDデビュー報告、AJ登場からの渋谷のギャルイベントまで、ここまで矢継ぎ早の展開でしたが、当然の疑問が湧いていました。"色々どうやって繋がった?”です。そんな矢先、またもクリスに渋谷に呼び出されました。

 

”挨拶してもらいたい人がいる”

 

向かった先は、公園通りを代々木公園方向に進み、渋谷PARCO Part2手前の交差点を右折、その先のビルの2階にあったバスケットボールショップ「PLAYERS」です。

 


 

バスケ好きなら興奮を隠せないであろう店内の先に進むと、NBAのトレーディングカードを取り扱う「CHRISTY'S」があり、さらにその奥にある事務所。そこで初対面となったのが、両店舗の経営者である宮崎憲吾さんです。

 

厳ついがたいに熊のように大きな手、鋭い眼差しに”この人かたぎじゃない”と内心動揺していましたが、柔らかい口調でにこやかに接して頂き一安心。そして挨拶も早々に、

 

”メシ行こう”

 

行った先は道を挟んだすぐ向かいの「TGI FRIDAY'S渋谷神南店」。
それ以降も幾度となく連れて行ってもらい、たくさん学ばせてもらい、たくさん鼓舞してもらい、たくさん怒られる、我々にとって重要な場所となっていきます。



そしてこの日、憲吾さんが2人を引き合わせたこと、CHRISの音楽業界への道筋を見出だしたこと、何より日本にストリートボールを広めようとしている第一人者、つまり全ての始まりとなった人物であることを、ようやく知ったのでした。

 

憲吾さんはその後、様々なイベントを主催し、シーンの発展に常に貢献。FAR EAST BALLERSのメンターとしても本当にお世話になり続けることになります。



2002年も年の瀬。
先日の初のBALL ROCKIN' SHOWに続いて、1月にはCLUB ASIA、2月には山嵐ツアーファイナルが待っています。

 

いよいよチームとしてのショー作りが始まるわけですが、CHRISとAJの他にはどんなメンバーがいるのかまだ分かっていませんでした。一体どうなるのかと不安に思っていると、今度はAJから連絡が来ました。

 

”次の土曜に専修大学で練習する”


まさか自分が普段通っている場所で練習するとは驚きでしたが、2年生の教養科目の授業以来に生田キャンパス総合体育館へ。

 

そこにいたのはCHRISとAJ以外に6名。今回の2つのショーに参加してくれる専修大学バスケ部の面々でした。年下の選手が4名、同い年が2名。やはりみんな高身長でしたが、1人自分と同じ背丈の人物も。

 

伸びた坊主頭みたいなヘアスタイルの彼は、練習前は気だるそうに歩いていて、”こいつやる気あるのか?”なんて思っていました。しかしショー作りの前、アップ代わりのミニゲームが始まると一変。コート上の他の誰とも次元の違うプレーに驚愕しましたが、すぐにこうも思いました。

 

”この感じ、最近あったな”


CHRISの引退試合を観に行って、たまたま目撃したその年のインカレMVP。その人物は専修大学4年生の青木康平。

 

CHRISの家でした質問、

 

“選手はお前以外に誰がいるの?”

 

”今のところ2人いる”

 

初期メンバー最後の1人との出会いは、同じ大学の同級生に相応しく、4年間共に過ごしていたキャンパス内だったのでした。

 

つづく>