
古くからの仲間達が苦悩と成長を経て、色々なフィールドで大成していく姿は、心底嬉しくもあり、負けてらんないと尻を叩かれる感覚も込み上げてきます。
その中でもえらく出世した人物に、もはや気安く名前すら出すのも畏れ多い、佐々木クリス御大がおられます。気付けば今年で25年の付き合いです。



彼は謎キャリアの持ち主で、一般的にはインカレ優勝→bjリーグ→NBAアナリスト/Bリーグ公認アナリストと認知されているかと思いますが、大学とプロの間に、ストリートボーラー時代があり、それと並行して「B-Boy」というハーコーな期間を経ています。
ここでいうB-Boyとは、ブレイクダンサーのことではなく、“Hip Hopカルチャーにどっぷり浸かった男”という広義の意味です。若い頃からBlack Musicのヘビーリスナーであり、メジャーデビューしたラッパーであり、自宅では趣味でDJもしていた彼は、まさしくB-Boy。
“ストリートボールはHip Hopの一部だ”などと言い出した張本人で、当時の色んなインタビューで言い放っていましたね。
高校のバスケ部で彼と出会いましたが、自分は隣のクラスにいたDJの影響で、バスケもしながらDJも開始。部活帰りに地元のdisk unionに寄ってレコードをチェックしてから帰ることを習慣としていました。
クリスは普通に洋楽を色々聴いていたみたいでしたが、徐々にHip Hopが中心に。当時のアイドルはLL Cool Jで、アルバム「Mr. Smith」をご愛聴。中でも「I Shot Ya (Remix)」で客演しているFoxy Brownのバースがお気に入り。
なので高2の学園祭のアフターパーティー=後夜祭における、人生初LIVEでのトラックは同曲をチョイス。当時は英語でラップしていました。


そんな高校時代、聴いてみなと初めて貸してくれたのはThe Fugees「The Score」。
他にはSnoop Dogg「Da Game Is to Be Sold, Not to Be Told」やWu-Tang Killa Beez「The Swarm Volume 1」なども。


逆に自分が日本のHip Hopも良いよと貸したのはBuddha Brand「人間発電所」で、誕生日プレゼントに渡したのはCocoa Brovaz「The Rude Awakening」。
色々思い出せるもんですね。

自分が東海岸や西海岸のHip Hopのレコードを買い漁っている最中、不意を突いて南西部メンフィスのグループ Three Six Mafia「When the Smoke Clears: Sixty 6, Sixty 1」を薦めてきたり、当時の自分はBounty Killer「My Xperience」くらいしか聴いていなかったReggaeでは、T.O.K.「My Crew, My Dawgs」を貸してくれましたね。



しかしこの頃のアイドルは、やはり全盛期だったJay-Zで、彼が率いるRoc-A-Fella Records最強説を唱え、Beanie Sigel「The Truth」の発売に歓喜し、何より期待していたAmilが、素行の悪さも原因となり全然ブレイクしなかったことを嘆いていました。

Fat JoeやBig Punisherといったプエルトリコ系のラッパーも大好きで、彼らの弟分だったSacarioの“「Live Big」って曲が良い”とかマニアックなことを言うので、ならばと2002年に渋谷でやった初のフリースタイルバスケのショーケースのイントロで使ったのでした。
あれもやらねばこれもやらねばと大変忙しそうにしていて、気付いたらNBAアナリストなんて職業になっていて、タイトなスーツを着てNHKに出ていました。全身オーバーサイズだった学生時代やB-Boy時代からは考えられない転身ですね。
こうして意味もなく記憶力チャレンジをしてみて、自分自身に感じたことがありました。
DJという人種は、音楽に関する情報に病的に敏感なので、誰かの何気ない呟きにも聞き耳を立てて、その人の好きな曲をずっと記憶してしまう性質があるようです。
まさしく職業病。クリスだけでなく他のバスケ選手のこれまでの発言も自動記録されています。
“オリンピックやりたかった (5人制解説者) ”
“俺もだよ (3人制DJ) ”
“この曲何度もかかるね”
”多分使える曲に色々制約があるんじゃないかな”
といった内容で直近の会話は終わっているので、Jay-Z「Reasonable Doubt」のドキュメントDVDが借りパク状態になっていることは、どうやらまだバレていません。

