
“ストリートボールとはHIP HOPカルチャーの一部だ”などと、勝手に言い切っていた若気の至り集団が「FAR EAST BALLERS (FEB)」。
初期メンバーでまともに活動していたのはbjリーグやLEGENDなどができる前、2003年から2005年の夏くらいまででしたが、各所ご迷惑お掛けしました。


ストリートボールを世に広める活動の一環としてやっていたFREESTYLEパフォーマンスで、結成当初からCLUBイベントに頻繁に出演。最初のステージは2002年12月に渋谷で行われた“109系ファッションブランド"によるイベントだったと記憶しています。
そして2003年からは、ALLDAYのコミッショナーであるJIROさんが主催していたイベントに呼んで頂き、夜の六本木にも進出。本番前、六本木駅近くのモスバーガーでみんなでドキドキしながら待機していたのを思い出しますね。


“専属DJがいるバスケチーム”の大先輩であるTeam-Sが行っていた「UPPER NIGHT」には回数もクオリティーも遠く及びませんが、我々も「STREETBALLIN'」なるイベントを2度開催。
1度目は2003年5月に、チームの本格始動を宣言する場として。2度目は2004年11月。DJ KAORIさんまでゲストに呼んで、お客さんよりメンバーの方がバウンスするというダメダメな夜でしたね。







CLUBにもバスパンで入場する若造達は、いつだって何も考えずはしゃいでいましたが、チーム運営側にとっては、“ストリートボーラーは夜遊びもするんだぜ”というメッセージもあったのでした。







CLUBにもバスパンで入場する若造達は、いつだって何も考えずはしゃいでいましたが、チーム運営側にとっては、“ストリートボーラーは夜遊びもするんだぜ”というメッセージもあったのでした。
イケてるバスケ選手はプライベートもイケてる、そんなブランディングをしていこうと結成当初から話し合っていたのです。

もちろん大前提は「試合には絶対に勝つ」ですので、試合前夜にCLUBで遊ぶような不届き者はATSUSHIだけでしたが、揃いも揃って一人残らずCLUB好き。なぜこんなメンバーだけが集まってしまったのでしょう。
趣味でDJもしていたJUNのイベントに全員で詰め掛けたりもしましたね。



試合に勝ったら最後はCLUB、パフォーマンスが終わったら最後はCLUB、忘年会をしたら最後はCLUB、そして明け方に精魂尽きてゾンビのように解散。
趣味でDJもしていたJUNのイベントに全員で詰め掛けたりもしましたね。



試合に勝ったら最後はCLUB、パフォーマンスが終わったら最後はCLUB、忘年会をしたら最後はCLUB、そして明け方に精魂尽きてゾンビのように解散。
当時はこの流れが決まりごとになっていました。

その後の活動休止から時は流れて2009年。
駒沢公園の体育館であったCOHEYとJUNのbiリーグの試合後に、駒沢駅近くのお店で某メディアさんに「あのFEBはいま」といった内容のインタビューをして頂いたことがあります。
もうみんないい大人になっていましたが、やはり変わらずインタビュー後には、“もう遅いし帰る?それとも行っとく?”となり、全員一致で新木場ageHaへ向かったのでした。



さらに時は流れて2011年。アラサー集団が満を持して再集結して沖縄へ。
久々に揃ったメンバーは何も変わらぬ空気感とノリで、すぐに20代前半の感覚にタイムスリップ。




肝心の試合ではCOHEY vs TANAの1on1など感動的な瞬間も色々ありましたが、結局は、“最後はCLUB、そして明け方に精魂尽きてゾンビのように解散”となったのでした。





肝心の試合ではCOHEY vs TANAの1on1など感動的な瞬間も色々ありましたが、結局は、“最後はCLUB、そして明け方に精魂尽きてゾンビのように解散”となったのでした。









この楽しかった経験に気を良くして、懲りずに再び行った翌年も同様の結果ですね。












気付けばそれすら10年経って2021年。
住む場所に家庭環境に仕事、背負っている責任や抱いている夢も、それぞれ大きく変わっています。取り巻く社会環境もです。
それでも、もしまたバスケをするために集まれたのなら、アラフォー集団でもあの頃と変わらず“最後はCLUB”となるのでしょうか。
きっと連中ならやりかねません。
LINEグループを見る限り、いまだ「ストリートボールとはHIP HOPカルチャーの一部だ」と言い張っているようなので。
LINEグループを見る限り、いまだ「ストリートボールとはHIP HOPカルチャーの一部だ」と言い張っているようなので。



