引戸をいつも少し開けてたのはなぜ?

靴を下駄箱にしまうのはどうして?

居間のドアや玄関を閉めるクセはなんで?

お風呂の足マットを毎回しまうのは何故?

掃除のコロコロが沢山あるのは?

小さなスポイトがあるのは?

廊下の端に爪研ぎがあるのは?



全て家の中での
当たり前の事が変わってしまった。

もう無くていいんだ
しなくていいんだ


その必要がないんだ


ここには書き記せないほど沢山の
当たり前の日常があった。


単に飼い猫とかではなく
改めて本当に家族
だったんだと思いました。
  


14歳。
オスの猫。

2019年の3/25、午前中に亡くなったシロ猫





奇しくも2年前、庭で飼っていた
野良ネコのさくらが亡くなった日と
全く同じ日でした。


野良ネコのさくらを溺愛していたので
シロが何か云いたかったのかな

と、そんな事も考えてしまう偶然。
偶然は必然とも云われていますし

何か縁を強く感じてしまいました。



  

晩年のシロは
木曜の夜に急に倒れてほとんど動けなくなり

そこからほとんど寝たきり。

俺の知っている限り
2回くらいベッドから
飛び降りて歩き出したけど


ユラユラ、ふらふらと、いつ倒れてもおかしくない歩きで彷徨っていた事があった。

寝たきりになっても
意識はあって

スポイトで牛乳を飲ませると
力弱く、ゴクッと飲んでいた。


最期は水分も取ることも出来なくなり
月曜日まで生きていてくれた。



家族だった故
わざわざ撮ることもあまりなかったせいか
思ったより写真が少なかったので

短い動画になりました。



よかったら見てください。





ぷくぷくと太っていた動画のシロは
2015年。


あれからたった3年半です。


命って
動物でも人でも
いつ終わるかなんて
分からない


シロに教えられている気がしてます。



あの時はよく引っ掻いてきたり
噛もうとしたり



ワガママでおバカなネコだったけど

最近では年を取ったからか
エサを欲しがって

足に擦り寄ってきたりと
愛され方を覚えたり。


結果

バカみたいに可愛かった。



今思えば手を焼いた分だけ
心にポッカリと穴が空いたようです。



いまでもニャ〜ニャ〜
と吠えるように鳴いてエサを欲しがる鳴き声が聴こえてきそう。



でも心には
まだ元気なシロがいます。












本当に本当に

ありがとう。






ゆっくり休んでね、シロ。