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「先輩には、好きな人が居る……だから、わたしは……」



微妙な沈黙の時間が流れた。


そして俺は、ゆっくりと千尋に言ったんだ。



「千尋……お前は、きっと勘違いしてるよ」


「えっ? だって、先輩は……」



千尋の目に、動揺の色が映る。



俺は、そんな千尋の目を優しく見つめながら言った。



「あのとき……俺には好きな女なんて居なかった。いや、居たとしたら……」


「居たと……したら……?」



千尋は、泣きそうな顔で俺をじっと見つめていた。



「それは……きっと、お前だよ……千尋……」


「そんな……だって、わたし可愛くなかったし……」


「……いや、俺もきっと自分の気持に気づいてなかったんだ……俺は……」


「そんなことないよ、先輩! そんなこと、ない……」



そのとき千尋は、嬉しいような悲しいような不思議な表情を見せた。



俺は……きっと、千尋のことが好きだった。



そして、あの頃より美しくなった千尋がいま俺の目の前に居る。



俺は、そのとき……千尋に、それ以上の言葉を言えなかった。



いつもの俺ならば、きっとこう言うだろう。



「俺は、本当に千尋が好きだった」と……。



しかし、俺にはそんなとことは言えなかった。



俺の心が、そんな言葉を告げることを拒んでいた。



俺は……本当に、千尋が好きだったのかもしれない……。



他の女に対する感情とは、明らかに違う気持ち……。



そんな気持ちに、俺自身が混乱していたんだ。