50
「先輩には、好きな人が居る……だから、わたしは……」
微妙な沈黙の時間が流れた。
そして俺は、ゆっくりと千尋に言ったんだ。
「千尋……お前は、きっと勘違いしてるよ」
「えっ? だって、先輩は……」
千尋の目に、動揺の色が映る。
俺は、そんな千尋の目を優しく見つめながら言った。
「あのとき……俺には好きな女なんて居なかった。いや、居たとしたら……」
「居たと……したら……?」
千尋は、泣きそうな顔で俺をじっと見つめていた。
「それは……きっと、お前だよ……千尋……」
「そんな……だって、わたし可愛くなかったし……」
「……いや、俺もきっと自分の気持に気づいてなかったんだ……俺は……」
「そんなことないよ、先輩! そんなこと、ない……」
そのとき千尋は、嬉しいような悲しいような不思議な表情を見せた。
俺は……きっと、千尋のことが好きだった。
そして、あの頃より美しくなった千尋がいま俺の目の前に居る。
俺は、そのとき……千尋に、それ以上の言葉を言えなかった。
いつもの俺ならば、きっとこう言うだろう。
「俺は、本当に千尋が好きだった」と……。
しかし、俺にはそんなとことは言えなかった。
俺の心が、そんな言葉を告げることを拒んでいた。
俺は……本当に、千尋が好きだったのかもしれない……。
他の女に対する感情とは、明らかに違う気持ち……。
そんな気持ちに、俺自身が混乱していたんだ。