チャークンと俺は、ふたりでよく一緒に長い夜を過ごした。



麻里恵は、仕事で遅かったり。


出張で、いなかったり。


そんなことが多かったからだ。



俺は、もう。


ほとんどカメラマンの仕事をしていなかった。


土曜日の撮影デスクの仕事も、レギュラーで入っていたし。


普段も、ほとんどデスク周りにいて。


クルーのスケジュール管理や、取材要請などの電話対応を行っていた。



それに。


1997年の3月には、親会社のテレビ局がお台場に移転することになっていた。



当然、大規模な引っ越しを取り仕切るメンバーに俺は入っていて。


そうなるともう、取材に出ている場合ではなかったのだ。



話は変わるが、1996年の春。


俺は、自分のホームページを作った。


もともと、インターネットに興味があった俺は。


butamanという従量制のプロバイダーに入ったあと。


出来たばかりのhighwayインターネットに乗り換えていた。


やはり、ちゃんと使うには定額制でないと料金が不安だったからだ。



その頃、ある取材で俺は。


インターネットのコミュニティーについて知った。



デジタルキャッシュの仕組みや、アメリカで起こっているコミュニケーションの変化などを取材するうちに。


自分が考えている以上の可能性を秘めた、その新しいメディアに。


俺は、激しく刺激を受けてしまったのだ。