38 『ずっと見ていたい』
秋の訪れは、風の軽さで分かる。
肌にまとわりつく風が、まだほんの少し夏の余韻を感じさせる、そんな今夜。
ぼくは、またこの店にやって来た。
偶然今夜、時間が出来たぼくは。
彼女に逢いたくて、この店に来たのかもしれない。
あの日、この店のパーティーで彼女に逢って。
偶然、彼女と駅まで一緒に歩くことになった。
「電車に乗るときもね、母子家庭だと得なんだよ……」と、彼女は呟いた。
あぁ、そっか……。
彼女は、独りで子供たちを育てていた。
若いときに結婚して。
そして、別れてから、独りでちゃんと子供を育てて来たんだ……。
きっと、今でもいろいろと大変なんだと思う。
俺の想像も付かないくらいに、きっと。
でも。
そんな苦労を、微塵も感じさせない彼女が。
ぼくは、ずっと大好きだったんだ。
ぼくたちは、逆方向の電車に乗る。
駅のホームに電車が入って来た、そのとき。
ぼくは、つい彼女を引き寄せて。
彼女を、ギュっと抱きしめていた。
「また、ね……」
彼女の耳元で、そう囁きながら。
ぼくは、彼女の頬に軽くキスをした。
ちょっとびっくりしたような顔をした彼女は。
微笑みながら、ぼくの頬にキスを返してくれた。
「また、ね」
そう言って別れてから、2ヶ月。
やはり、ぼくは。
彼女に、また逢いたくて。
今夜、この店を訪れたんだと気づいた。
あっ、いたいた!
彼女の姿を、見つけたぼくは。
ニッコリと笑いながら、彼女に声を掛ける。
「逢いたかったよ。君に逢いに来たんだ。……逢えて良かった!」
ぼくは、思わず彼女にそう言っていた。
「ほんと?だったら、いつでも誘ってよ!待ってるから」と、彼女も笑った。
「……でもさ、俺に惚れると、辛いよ。だから、止めたほうがいいよ!」
そんな風に、彼女をからかうぼくを。
彼女は笑いながら、ちょっと寂しそうに見つめた。
ホントは。
ぼくは、ずっと彼女のことを見ていたいんだ。
ホントは。
ぼくは、ずっと君の支えになれたら……。
頼りない、ぼくだけど。
そんな風に思っても、いいよね?
ぼくは、彼女に聞こえないように。
心のなかで、そう言った。
そして。
ぼくは、楽しそうに笑っている彼女を、じっと見つめた。
『ずっと見ていたい』
了