109
その日俺は、急ごしらえした真っ黒いスーツで家を出た。
暑い。
広島の日差しは、午前中でもこんなにキツかったっけ?
俺は、そんなことを考えながら、真っ白いハンカチで、噴き出した汗を押さえた。
美樹ちゃんから伝えられたのは、信じたくない事実だった。
リカが、死んだ。
あの日。
リカは、交通事故に遭ったらしい。
俺と別れた、そのすぐあとに…。
そんな、バカな…。
電話を切った俺は、その事実を受け入れることなんて出来なかった。
しかし。
そのあとすぐに、中学の部活仲間から何本も電話がかかってきた。
何本目かの電話を切ったあとに、俺は気付く。
あれっ? 涙?
俺は、いつの間にか泣いていた。
Tシャツの肩で、あふれる涙を拭く。
目を閉じれば、リカの笑顔が浮かんだ。
俺は、嗚咽を押さえながら、泣いた。
薄暗い裏庭に飛び出て、闇に紛れる。
そして俺は、そこでひとり、長い時間泣いた。
リカの葬儀は、古い寺で行われていた。
「もしかしたら、自殺かもしれない…」
そんなことを言うやつもいたが、絶対にそんなことはない。
俺が見たリカの笑顔は、間違いなく輝いていたのだ…。
焼香のときに見たリカの遺影も、同じように笑っていた。
110
俺は、告別式のその場にいてもまだ、リカの死に実感がなかった。
通夜でも、俺はリカの顔を見ることが出来なかった。
いや、本当は。
見たくなかったから、見なかったのだ。
霊柩車が、長いクラクションを鳴らして出発した。
あっけなく、リカの葬儀は終わった。
不思議と、涙は出なかった。
俺は、そのまま海まで歩く。
誰もいない防波堤に腰掛けて、ボーッと海を見ていた。
俺は、自分の右手を見る。
あのときリカが、受けとめてくれた右手だ。
俺は、右手のこぶしをゆっくりと握りしめる。
そのとき、リカとの思い出が、フラッシュバックのように蘇ってきた。
あの、テニスコートで。
あの、教室で。
いつもリカは、笑っていたのに…。
俺は、リカに冷たくしてしまった過去を、激しく悔やむ。
しかしもう、償うべきリカは、どこにもいないのだ。
涙が、あふれ出した。
俺は、その日ずっと海を見ていた。
つらくても、悲しくっても、腹は減る。
それって、誰の言葉だっけ?
俺は、それでも自動車学校に行かなければならないのだ。
予定より少し遅れてしまった俺は、卒業検定だけを残して広島を離れることになった。