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1983年4月7日。
俺は朝から、日本武道館にいた。
日大のいくつかの学部合同で、入学式が行われるのだ。
武道館までは、思ったより遠かった。
まず、江古田駅まで徒歩15分。
西武線で池袋へ出て、山手線で高田馬場へ。
東西線で九段下に出て、そこからもかなり歩く。
電車の乗り換え自体あまり経験がない俺は、迷いながら武道館にやって来た。
「ここが武道館かぁ…」
初めて武道館を生で見た俺は、素直に感動していた。
ここは、全てのバンドマンにとっての聖地だ。
「夢は、武道館!」
それが高校時代、俺たちバンド仲間の合い言葉でもあった。
しかし、武道館は想像していたよりも小さかった。
1万数千人が入るのだから、もちろん大きい場所には違いない。
しかし、俺のなかでは、もっと偉大でもっと大きい場所だと思っていたのだ。
自分の目で見ないと、本当のことって分からないんだな…。
俺は、そんなことを考えながら、形式的な入学式に臨んでいた。
武道館での入学式はすぐに終わり、俺はそのまま江古田キャンパスに移動する。
各学部に戻って、まだいろいろとあるらしい。
そして俺は、混雑する東西線のなかで奇跡的にある女と再会してしまったのだ。
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学生で混雑した東西線の中で、俺はいきなり足を踏まれた。
「イテッ」と、俺は思わず声を漏らす。
「わぁ、すいません!ごめんなさい!」と、俺の目の前にいた女の子が謝ってきた。
少しハスキーで、いい声だ。
「あっ、大丈夫ですよ。あんまり痛くなかったし…」
俺はそう言いながら、謝る女の子を見る。
女の子も、上目づかいで俺の顔を見た。
……!
えっ?
「ヒロユキ…。ウソ…?」
「エミ…。どうして…?」
片山恵美とは、高校2年の夏に知り合った。
俺たちのバンドで、女の子のボーカルが欲しくて、近くの女子高にスカウトに行った。
もちろん、タケシと下山も一緒にだ。
そのときに、下山の友達から紹介されたのが、エミだった。
そしてエミと俺たちは、当分のあいだ、女性ボーカルの曲のコピーや、ちょっとしたオリジナルの曲を一緒にやっていた。
俺は、エミの声が好きだった。
ちょっとハスキーだが、甘くて高音が伸びる不思議な声…。
「もしかして、武道館にいた?」と、俺はエミに聞いた。
「うん。芸術の美術だよ。ヒロユキは?」
「あぁ、映画…。まさか、こんなところでお前とまた逢うなんて、な」
俺はそのとき、長く忘れていた、あの頃の心の痛みを思い出していた。