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親父は結局、自分の夢をあきらめた、というワケだ。
もちろん親父が家業を継がなければならなかった事情は、俺だって頭ではちゃんと理解していた。
しかし…。
夢をあきらめて、本当は、やりたくもない仕事をやる。
そんな親父を、俺は尊敬しつつも、軽蔑していたのかもしれない。
俺は、親父の油臭くて黒く汚れた手を見るのがイヤだった。
本当は親父は、そんな手をしなくても良かったかもしれないのに。
そんなに毎日、朝早く起きなくても良かったかもしれないのに。
だから。
俺は、家の仕事を継ぐつもりは、全くなかったのだ。
しかし…。
東京から帰る新幹線の中で、缶ビールを飲みながら、親父がそっとつぶやいた。
「なぁ…お前は、好きなことをちゃんとやれよ…」と。
「…うん。やるよ…」と、俺は親父から顔をそむけたまま、そう言った。
俺の目からは、思わず涙があふれ出ていた。
ゴメン、親父…。
俺は、あなたの期待と夢も背負って東京に行く。
そして、俺の夢を必ず叶える。
俺はそのとき、そう心に誓った。
俺は、親父とそんな旅をしたのだ。
そして、美佐が広島にやって来た。
中学3年のときの同窓会が、急に行われることになったからだ。
俺は当然、美佐に広島に来るように誘った。
美佐が、3年ぶりに広島にやって来る。
俺は、その事実だけで心踊っていた。
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同窓会は、地元のお好み焼き屋で行われることになっていた。
そこは、広島では珍しい関西風のお好み焼き屋で、中学のとき通学途中にいつも横を通っていた懐かしい場所だ。
その日、美佐は午後3時に広島駅に到着することになっていた。
俺としては、美佐にもっと早く来て欲しかったが、朝から外せない用事があったらしい。
日帰りだから、同窓会の一次会が終わると、美佐はすぐ大阪に帰ってしまう。
たった数時間だが、それでも美佐と一緒にいられるのが、俺は嬉しかった。
俺は、広島駅の新幹線ホームで美佐を待つ。
美佐に逢うのは、約1ヶ月ぶりだ。
その間に、有紀とも沙樹とも決着をつけた。
俺の気持ちは、いま迷いなく美佐に向かっている。
俺は、それを今回実感したいと思っていた。
新幹線が到着して、美佐が降りて来た。
1ヶ月前より、美佐がキレイに見える。
「久しぶり、ひろ。逢いたかったよ」と、美佐が微笑む。
俺は、その笑顔に胸がときめいた。
そして、俺と美佐は、手をつないで歩き出した。
路面電車に乗って、ゆっくりと広島の街を見ながら、地元へと向かう。
美佐がこの街に現れたのは、3年ぶりだ。
この街で美佐と一緒にいることが、まるで夢のように感じられていた。