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「…そろそろ帰ろうか?今日は、ホントにありがとう、有紀。元気でね」と、俺は頭を下げた。


「いいえ、こちらこそ。ひろも元気で頑張って。また…ね」


有紀は、そう言いながら俺に抱きついてきた。


有紀の瞳は、潤んでいた。


しかし、涙は見せなかった。


それは、有紀の意地だったのかもしれない。



俺も、有紀を受け止める。


有紀も俺も、分かっていたのだ。


今日で俺たちの微妙な関係も終わりになる、と。


というか、終わりにしなければならないのだ。


俺には、美佐がいる。


そして俺は、美佐しか愛さない。



俺たちは、しばらくの間そのまま抱き合っていた。


ただ、抱き合っていた。


そして俺と有紀の微妙な関係は、そのとき終わったのだ。



次の日。


俺は、沙樹に電話をかけた。


「もしもし、沙樹?昨日は…どうしたの?」


「……ちゃんと行ったよ。…ひろ来ないから帰ったの」と、沙樹は悪びれもせずに、そう言った。


「…確かに10分くらい遅れたけど…分かった。もういいや。じゃあ元気でね」


俺は、そう言って急いで電話を切った。



俺は、そのあと3時間も待ったんだぜ…。


もういい。


もう沙樹のことなんて、どうでもいい。


B型の女なんて、二度と信用しない。


俺はそのとき、そう誓っていた。


58


そんなこともありながら、この1ヶ月は本当にバタバタと過ぎて行った。


そして、たとえば。


親父と、初めてふたりで旅に出たり。


といっても、夜行寝台特急「あさかぜ」で東京に行き、学校から紹介されたアパートを決めて、その日のうちに新幹線で帰るという、旅とは言えない旅だったが。



風呂なし24000円也の4畳半+3畳リノリューム張りのキッチン。


そこが、俺の初めての独り暮らしの場所に決まった。


旅の途中でも、俺と親父はほとんど言葉を交わさなかった。



親父は、魚市場の中にあるガソリンスタンドを経営していた。


戦後、復員してきたじいちゃんが始めた店だ。


市場の中にあるだけあって、朝は早い。


親父は毎日朝4時前に起きて、夜7時まで働いていた。


夕食は家族みんなで取るが、食事が終わった後すぐに親父は寝てしまった。


つまり俺と親父は、普段からちゃんと話をする時間も無かったというワケだ。


いや、本当のことを言えば、俺はずっと親父と話なんかしたくもなかったのだ。



親父は昔、声楽をやっていて、本当は音楽大学に行きたかったらしい。


しかし、じいちゃんの猛反対にあって、イヤイヤ国立大学の経済学部に進んだという。