55
「何やってんの?待ち合わせ?」と、有紀は笑った。
「うるさいよ。…あのさ、俺すっぽかされたみたいなんだよね…」と、俺も笑ってみせた。
「もしかして、沙樹ちゃん?」と、有紀は言った。
有紀は、俺の顔色を伺っている。
「ねぇ、ひろ…あたしとデートしよう!」と、有紀は微笑んだ。
有紀は、カンの良い女だ。
俺の表情から、今の状況を正確に判断したらしい。
「いいよ、今日だけなっ!」と、俺はおどけてみせた。
有紀は、相変わらず微笑みながら、俺の肘に腕を絡ませてきた。
5分後。
俺と有紀は、近くの喫茶店にいた。
俺たちは、温かいアメリカンを飲みながら、あまり言葉も交わさずに、ただ見つめ合っていた。
高校を卒業したばかりなのに、有紀の雰囲気は見違えて大人になっていた。
ほんの少しの時間なのに、女ってすごいな、と俺は感心していた。
有紀は無事、地元の国立大学をパスしていた。
そんな自分に対する自信も影響しているのかな?と、俺は勝手に思った。
「…あたしね、シモと別れたの」と、有紀はキッパリと言った。
俺を真っ直ぐに見つめる有紀の瞳には、一点の曇りもない。
俺はそのとき、そんな有紀の姿に見とれてしまっていた。
56
「そっか。ついに別れたんだ…」と、俺はつぶやいた。
下村と有紀の気持ちを思うと、俺はそれ以外に口にする言葉が見つからなかった。
そして長い沈黙のあと、有紀がゆっくりと口を開く。
「…いつ東京に行くの?」
「うん。今月末には行くよ」
「…ひろ、もうすぐいなくなっちゃうんだよね?本当に…」
有紀は、そう言いながらも、この前とは明らかに態度が違っていた。
「あのね、あたしひろに自分の気持ちを伝えることができて良かったと思ってるの。後悔なんてしない」
有紀は相変わらず堂々と、真っ直ぐに俺を見てそう言った。
有紀の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
「…俺だって、ずっと有紀が好きだった。でも…」
俺は、思わずそう言ってしまっていた。
「知ってたよ、そんなことくらい。ゴメンね、付き合ってあげられなくて」
そう言って有紀は、とてもキレイに笑った。
今までで、一番キレイな有紀の笑顔だった。
俺は、そんな有紀を見て、いま強く感じていた。
そう。
有紀と出逢えた、その幸福を。
それから俺と有紀は、手をつないで広島城の周りを歩いた。
そのとき、俺も有紀も同じことを考えていたに違いない。
今日で、俺たちふたりも終わりにしよう、と。
広島の街は、すでに日が傾き、夕闇が迫っていた。