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「赤い風船」は、30分ちょっとで終わった。
時計の針は、午後4時を指そうとしていた。
「どうする?次、何か見るかい?」と、俺は有紀に聞いた。
有紀は少し考えて、こう言った。
「ねぇ、ひろ…。ウチに来ない?ちょっと聞いてもらいたい話もあるし…」
えっ? ひろ…!?
有紀が俺のことをそう呼ぶのは、初めてのことだった。
やはりこれは、タダゴトではなさそうだ。
俺は少しの時間考えたあと、こう言った。
「あぁ、今日だけな」と、おどけながら。
そのときの有紀は、何かを決心したかのように穏やかな表情で微笑んでいた。
有紀の家へは、バスで20分くらいで着いた。
バスの中でも有紀は、俺の手を握っていた。
俺は、以前有紀と映画を見に行ったときのことを思い出していた。
そのときも有紀は、俺の手を握っていたっけ。
俺と有紀は、ずっと微妙な関係だった。
下村がいたからこそ、このところの俺は有紀を見ないようにしてきただけなのかもしれない。
しかし、今は…。
でも、今の俺には美佐がいる。
そしてそのことは、もちろん有紀も知っていた。
有紀の家は、閑静な住宅街にある一軒家だった。
有紀の部屋は、クリーム色を基調とした、明るい女の子らしい部屋だ。
俺は、初めてそこに足を踏み入れる。
そこは、有紀の匂いがした。
ベッドに腰掛けながら、有紀がこう言った。
「今日は、誰もいないんだ…」と、いたずらっぽく笑いながら。
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「ねぇ、そんなとこに立ってないで、こっちに座って」と、有紀は言った。
俺の手を引っ張って、無理やりベッドに座らせる。
その結果、俺と有紀は、ベッドの上に密着する形で座ることになった。
俺の頭のなかは、まっ白になっていた。
何かしゃべろうと思っても、気のきいた言葉が出て来ない。
「…明日、入試の合格発表なんだ。受かってるといいんだけど…」と、苦し紛れに俺は口を開く。
「うん、大丈夫だって!ひろなら、きっと大丈夫だよ」と、有紀が言った。
そして、沈黙が訪れた。
なんとも微妙な空気が、部屋に流れる。
俺は、思い切って有紀に聞いた。
「…あのさぁ。なんで急にひろになったの、俺?…いや、別に全然いいんだけど、さ」
有紀は、そのままベッドに寝転がって、こうつぶやいた。
「みんなバラバラになっちゃうんだよね…」
俺は、有紀の顔を上から覗き込むような格好で話を聞いていた。
有紀は、涙がこぼれないように寝転がったのだ。
俺は、そう思った。
「シモとは、もうダメなんだ。でも、それはもういいの。前からだんだんうまく行かなくなってたし、友達に戻るだけだから」と、有紀は言った。
そう言いながらも、有紀の声は寂しそうだった。