29
俺はまだ、美佐と離れたくなかった。
そして俺にはまだ、やらなければならないことがある。
俺は今日、美佐とキスをする。
京都の街を歩きながら、俺はそう決めていた。
今度は、いつ美佐と逢えるか分からないのだ。
俺は、形としての「何か」が欲しかった。
形としての事実。
それが、離れてしまう俺たちにとっては、必ず必要なものなのだ、と俺は信じていた。
もちろん俺は、美佐を抱きたかった。
でも、まだそのタイミングではなかった。
それに俺は、まだ女を知らなかった。
俺と美佐は、腕を組んで、意味もなく新大阪駅の周りを歩いた。
「ふたりっきりになれる場所があるといいのに…」と、俺はつぶやいた。
「そうだね…」と、美佐が小さな声で応えた。
俺たちは、いつの間にか新大阪駅の裏側にある地下道を歩いていた。
「ねぇ、こっちに行っても何もないよ?」と、美佐は言った。
「うーん、まぁ行ってみようよ」と、俺は応える。
地下道には人影もなく、俺たちはふたりきりだった。
俺は歩みを止めて、美佐を引き寄せる。
そして、3年ぶりに美佐を抱きしめた。
俺の体は、震えていたに違いない。
そして美佐の体も、同じように震えていた。
俺は、震えを抑えるように、美佐を強く抱きしめていた。
30
美佐の髪を、優しくなでる。
美佐は、ちょっと困ったような顔をしてうつむいている。
「美佐…大好きだよ」と、俺はささやいた。
美佐が、ゆっくりと顔を上げる。
俺の目を、しっかりと見つめる。
「わたしも、大好き…」と美佐がささやいた。
そして美佐は、ゆっくりと目を閉じた。
3年前。
同じように、美佐とキスしようとした。
いま、そのときと違っていたのは、俺の唇に、確かに美佐の柔らかさを感じたという事実だ。
それが俺には、とても大切で、とても幸せな事実だった。
それから、俺たちは人目を避けながら、何度も何度もキスをした。
抱き合いながら、見つめ合いながら。
俺と美佐は、お互いの気持ちをやっと分かり合えたのだ。
ずっと美佐と、一緒にいたい、と俺は願った。
しかし。
「叶わない夢ほど、甘いものはない」
そのときの俺は、そんなことも知らない子供だったのだ。
時計の針は、午後8時を回っていた。
俺は、新幹線に乗る。
ホームから、美佐が俺を見送る。
いまの俺たちには、言葉は必要なかった。
発車を告げるベルが鳴る。
ドアが閉まる。
列車が動き出す。
俺と美佐の見つめ合う視線は、そのとき確かに、熱くしっかりとつながっていた。
今度美佐に逢うとき、俺たちはどこで何をするのだろう…。
走り出した列車のなかで、俺の心も走り出していた。