夜の街を、自転車で走る。


広島は、川が多い。


だから、橋も多い。


俺は、いくつもの橋を渡りながら、美佐と過ごした日々を想いだしていた。


想いだすのは、美佐の笑顔ばかりだった。


気ばかりが、焦る。


美佐に逢いたい。


吹き出す額の汗を、トレーナーの袖で拭いながら、港を目指す。


そのうち、美佐が乗るフェリーが見えてきた…。



すでに乗船は、始まっているようだった。


俺は、まず待合室を捜した。


いない…。


美佐はもう、フェリーに乗ってしまったのだろうか?


カシオのデジタルウォッチを見る。


液晶は、20:45を表示していた。


やはり、間に合わなかったか…。



俺は、最初から分かっていたのだ。


本当に逢いたければ、もっと早く来れば良かったのだ。


俺は今日、美佐に逢うのが、本当は怖かったのかもしれない。


俺は、冷静に美佐を送る自信がなかったのだ。



フェリーの乗船口は、滑らかなスロープと階段になっていた。


俺は、乗船口が見えるところにたたずんで、フェリーに乗り込むひとの流れを見ていた。


周りには、見送りの人たちがたくさんいた。


9時を過ぎても、フェリーは出発しなかった。



近くにいたひとに聞くと、出発時間はどうやら9時20分らしい。


まだ乗っていないかもしれない…。


俺は、もう一度美佐を捜すことにした。




待合室に駆け込む。


やはり、美佐の姿はない。


俺の気持ちは、複雑だった。


逢いたいが、逢いたくない。


いや、逢いたいが、逢うのが怖い。


やはり、おとなしくフェリーを見送ろう…。


それが、一番良いように思えた。


勇気がないな…。


俺は、自分で自分のことを笑った。



「ひろゆきくん?」


そのとき、突然声を掛けられた。


美佐の声だ。


振り向くと、美佐とその後ろに美佐の家族がいた。


げっ!


恋人ふたりの別れには、あまり良いシチュエーションではない。


俺は、どぎまぎしながら、ご両親に軽く会釈をした。


気を使ってくれたのか、美佐を残してみんなはフェリーに向かった。


ちょっとホッとした。



美佐が駆け寄ってくる。


「来ないでって言ったのに!」と、美佐は言った。


言葉とは裏腹に、美佐は怒ってはいなかった。


「ありがとう、ひろ」


美佐は、恥ずかしそうにそう言って、俺に抱きついてきた。


俺は、ぎゅっと美佐を抱きしめて、こう言った。


「きっと迎えに行くからね。待っててくれ」


美佐の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


俺が見た、美佐の初めての涙だった。



乗船の最終案内を告げるアナウンスが流れた。


俺はもう一度、美佐を強く抱きしめた。