5
明日には、美佐が本当にいなくなってしまう。
俺たちは、その日の放課後、ふたりで公園にいた。
出発当日は、美佐もバタバタしているだろう。
だから、これがふたりが逢える最後の時間になるのだ。
俺たちは、いつものようにくだらない世間話をしていた。
実は、俺にはあまり実感がなかったのかもしれない。
いきなり美佐がいなくなってしまうなんて、ありえない…。
俺は、あえてそのことを、深刻に考えないようにしていたのかもしれない。
5時のサイレンが鳴った。
辺りはもう、真っ暗だった。
俺は、本当のことをいうと美佐とキスがしたかった。
しかし、そんな勇気は俺にはなかったのだ。
「…そろそろ行こうか…」と、美佐は言った。
美佐は、笑っていた。
無理して明るく、笑っていた。
俺は美佐の手を取って、ゆっくりと自分のほうに引き寄せた。
美佐は、少し驚いたように俺の目を見た。
ゆっくりと美佐を抱きしめる。
女を抱きしめるなんて、初めてだった。
柔らかくて、いい匂いがする…。
俺は、美佐の髪をなでながら、美佐の瞳をじっと見つめる。
少しの沈黙のあと、美佐がゆっくりと口を開いた。
6
「…行きたくないよ…」
美佐の瞳は、潤んでいた。
しかし、美佐は泣かないように我慢していたのだ、と思う。
俺も本当は、泣きそうだった。
しかし、いまは泣くわけにはいかない。
男は、人前で泣いてはいけないのだ。
俺は、そう思って我慢していた。
美佐をじっと見る。
胸が苦しかった。
そして俺は、ついに勇気を出すことにした。
いま、ここで美佐とキスするんだ!
俺は、ゆっくりと美佐に迫った。
美佐は、それをゆっくりと避けながら、こう言った。
「今は、まだダメ…。だから…。これで許してね」
そして美佐は、俺の左のほっぺにキスをした。
ゆっくりと、優しいキスをした。
美佐を家まで送る。
ふたりは、何も話さずに歩いた。
手をつないで、歩いた。
「また大阪でね…」
そう言ってマンションに消えて行く美佐の姿が、涙でにじんで見えた。
次の日。
ついに、美佐が大阪に行く日がきた。
俺は、学校から帰ってきてから、ひとり部屋でボーっと過ごしていた。
美佐に逢いたい。
やはり、もう一度逢いたい。
気が付くと俺は、家を飛び出していた。
自転車に飛び乗って、宇品の港に向かう。
カシオのデジタルウォッチは、19:48を示していた。
宇品までは約40分だ。
俺は、美佐に逢えるのだろうか?