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俺は、沙樹子の言葉を冷静に聞いていた。


沙樹子は、ちゃんと分かっていたのだ。


沙樹子は、戻ってきた訳ではなかった。


俺はその事実に、少しさみしさを感じていた。


離れて行く沙樹子が、愛おしく感じられる。


しかし、それは俺のエゴでしかないのだ。


俺は、ゆっくりと沙樹子を抱きしめる。


もっともっと、沙樹子を抱きたかった。


もっともっと、沙樹子と愛し合いたかった。


俺は、沙樹子の匂いが好きだった。


俺は、沙樹子の声が好きだった。


どこでどう間違ってしまったのだろう?


今でも、本当はこんなに好きなのに…。



その夜、俺と沙樹子はロフトで手をつないで眠った。



ウトウトした俺が、ハッと気付いた時、もう沙樹子はいなかった。


そろそろ始発電車が動く時間だ。


俺は、ロフトから降りる。


沙樹子のいない部屋を見る。


今日は、クリスマスイブだ。


そして俺は、陽子とふたりきりで夜を過ごすのだ。


そして俺は今夜、陽子を抱くのだ。


俺は、水道の蛇口から直接水を飲む。


そして俺は、ガラステーブルの上に置いてあった鍵を見つけた。


沙樹子が置いて行った、この部屋の鍵だ。


それを見た俺の目から、涙が溢れ出した。


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俺は、沙樹子とやっと結論を出した。


俺は、これで陽子に真っ直ぐ気持ちを向けることができるのだ。



クリスマスイブの夜。


早めに仕事を終えた俺は、陽子の部屋へと向かう。


池袋でケーキを買う。


俺と陽子が好きな、チョコレートケーキにした。


花屋に寄って、赤いバラを一輪だけ買う。


それを革コートの内ポケットに忍ばせる。


俺の心は、少しだけ高ぶっていた。


自然と早足になる。


早く陽子に逢いたい。



陽子の部屋に着く。


呼び鈴を押す。


そして、ゆっくりとドアが開く。


そこには、陽子がいる。


少し照れたように笑う。


俺も優しく微笑みながら、ケーキとバラを陽子に手渡す。


陽子は、一輪のバラを飛び上がるほど喜んだ。


俺は、陽子を抱きしめる。


見つめ合う。


優しくキスをする。


「プレゼント、一緒に買いに行こう。これから…」と、俺は陽子の耳元でささやいた。


「自分で選びたいだろ?指輪…」


陽子は目を輝かせて、ゆっくりとうなずく。


心なしか、陽子の瞳が潤んでいるように見えた。


俺たちは、急いで丸井へ向う。


しっかりと手をつないで、一緒に駆け出す。


池袋の街明かりが、今夜は暖かく感じられた。