34
俺は、また日常に戻る。
仕事を終えて家に戻ると、案の定、留守電にメッセージが入っていた。
沙樹からのメッセージは、短いものだった。
「ありがとう。さようなら」と。
沙樹子からのメッセージも入っている。
「あっ、ひろ?お疲れさま。今日も遅いんだね。毎日暑いから体に気をつけて。今日ね…」
沙樹子は、あの夜以来、俺のことを「ひろ」と呼ぶようになっていた。
皮肉なものだ。
沙樹子からの長いメッセージを聞きながら、昨日の夜のことを考える。
俺は、長い間沙樹の亡霊を追っていた。
でもこれで、もうちゃんと忘れることができるだろう。
明日は、やっと沙樹子に電話できそうだ。
早く沙樹子に逢いたい。
俺は、ハシゴを登って穴蔵のようなロフトに転がりこむ。
いつもは圧迫感を感じるこの場所が、いまは心地良かった。
35
二週間後の午後。
俺は、渋谷のモヤイ像の前で沙樹子を待っていた。
「お待たせっ」と、沙樹子が現れた。
今日の沙樹子は、この前よりも絶対かわいい。
俺のフィルターが、そう見せているのかも知れない。
でも、それはそれで楽しいことだ。
沙樹子は、とても嬉しそうに微笑んでいる。
逢ったときの一番最初の表情で、相手の自分に対する気持ちが良くわかる。
そんなもんだ。
俺もつられて、ニコニコと笑う。
「ちょっと遅くなったけど、何か食べようか?」と、俺は沙樹子の手を取った。
こうやって手をつなぐのも、自然に感じられる。
そのことが、とても嬉しかった。
ハンズへ抜ける道の途中に、その店はあった。
最近評判の、スープを食べさせる店だ。
俺たちは、同じスープスパゲティをたのむ。
なんだか、ムダに長ったらしい名前だ。
それはいいとして、俺たちは、この2週間にあったことをお互いに伝えあった。
もちろん沙樹とのことは除いて、だが。
店を出た俺たちは、スペイン坂を抜けて代々木公園へ向かった。
手をつないで、公園を散歩する。
ハタから見たら、まさに幸せを絵に描いたようなカップルだろう。
日が傾いてきた。
西の空が、赤く色づきはじめる。
「ねぇ、これからどうしようか?」と、沙樹子が言った。
俺は、黙ったまま沙樹子の手を取り、再び渋谷の街に向かった。