たまには書くかなあ
2026令和8年
デジタルデジタル、情報の洪水でお腹いっぱいだ
洗濯物は乾かない日は
乾燥機行くのもめんどうだ
コインランドリー🌀は
とっくにいやしにならなくて
ズボンの裾上げも
ホックやボタンの直しもデジタルがしてくれるんか?人間だろうなあ
てまひま てしごとを
だいぶしなくなった
でも 野菜を作ることを続けている人や
ご近所さんとの、久しぶりの会話とか
針仕事とか
スダチの花がだいぶ咲いたから
今年は実がいっぱいつくわ とか
そういうどうでもいいことが
私には大切だったりする
だからきっと
何らかの事情でお家にいられない人たちは
そういう何気ない作業や生活行為から
切り離されてしまってるんだなあと思う

そのひとそのひとが
、だいじにしているもの 気持ちや人生を肯定して のんびり寄り添いたい
論文書いてるわけじゃないし
作業を守ることで何らかの売上が上がるわけでも
何らかのロスを食い止めてるわけでもない
自分たちの持ってる健康と幸福に寄与するという専門は
もっともっと ほかのものと掛け合わさないと 医療や介護分野 教育や司法もそうなのかな……それだけじゃないと思うんよね
デジタルの中のアルゴリズムに、ガンガンに作業療法入り込んだら
いちいち言わなくとも
人間は健康と幸せに寄与するために生活をだいじにするんだってことが
大前提になるんかな
作業や生活をだいじにしてます、キリッ( ・ิω・ิ)じゃあ ダメなのかなあ〜〜
さあ働いてくるかぁ〜