もことの思い出を忘れないための記録![]()
8年11ヶ月まで頑張ってくれた我が家のデグー、「もこ」が虹の橋を渡りました。
もことは生後約1ヶ月の頃に出会い、それからずっと一緒に生活してきました。
今でも自然と涙が出てきたり、もこがいないという現実を完全には受け入れられずにいます。
文章にすることで心の整理が少しでも出来ればと思い、ブログを書く事にしました。
ここでは、幼少期から介護をしてきた記録までを付けていく予定です。
時系列はバラバラに、その時の気分で書いていきます。
自分で飼った初めてのペット
もこは自分でお金を出してお迎えした初めてのペットでした。
社会人になり少しして余裕が出来てきたので、念願だったデグーを迎えました。
地元のホームセンターで売られていたもこは、一目惚れでした。
白が多めのアグーチパイドの男の子で、1匹で売られていました。
本当は女の子が欲しかったのですが見た目の可愛さにやられ、見た瞬間この子だ!と確信しました。
生体の値段は1万5000円ほどで、ケージやごはんなどを合わせると全部で4万円ほどでした。
デグーは前々から飼いたいと思っており、お迎え前に飼育本を3冊ほど読み勉強していました。
それでもいざ迎えてみると、本に書かれているようには上手くいかないことも多かったです。
個体差もありますが、幼体のデグーは思ったよりも元気なことに驚きました。
高齢になるにつれ落ち着くようにはなりましたが、それまでは遊んで攻撃がものすごかったです。(高齢になってからも遊んで攻撃はかなりありましたが)
デグーは比較的人間に懐く個体が多いので、もことのコミュニケーションは毎日の癒しになっていました。
そんな感じで初めてのペット、もことの生活は楽しくあっという間の8年間でした。
長生きの秘訣
もこは8歳と11ヶ月で天国へと旅立ちましたが、デグーの中でも長生きだったのではないかと思います。
最後は食が細くなり強制給餌を2ヶ月続けましたが、それまではモリモリ食べていました。
もこが長生きできたのは、食べてきたものとストレスフリーの生活にあったと考えています。
食事のベースは粗食
出来るだけ野生化に近い食事を考えていたので、チモシーをベースにした食事を徹底しました。
ペレットは規定量よりも若干少ないくらいにし、おやつはご褒美程度にしていました。
ペレットは「デグーセレクション」を基本として、たまに桑の葉ペレットをおやつ感覚で与えていました。
高齢になってくると少しカロリーが必要になってくるので、ペレットの量は少し増やしてあげていました。
おやつは「ベジドロップ」のビーツや、乾燥とうもろこしと乾燥キャベツ、えん麦などを掃除の後やおまわり、ハウスなどの芸が出来た時のご褒美として少量手渡しであげていました。
チモシーはフィーダーに入れたものと、床にもたっぷり敷いていました。
若い時は1番刈り、高齢になると2番刈りを与え、たまにアルファルファも入れるようにしていました。
猫草を育て乾燥させたものも、もこの好物でした。
デグーの糖尿病はそこまで気にしなくても大丈夫だと言われるようになってきましたが、不正咬合が怖いのでチモシーを食べてもらう工夫は欠かせません。
遊ぶ時間を程よく作る
もこは単頭飼いだったため、飼い主が遊んであげなければ(実際は飼い主が遊んでもらっている感じでしたが)暇になってしまいます。
青年期までは特に遊びが必要になってきます。
幸い私はほぼリモートでも仕事で、私がいない時でも誰かしら家にいる事がほとんどでした。
もこは構って欲しい時いつでも誰かに遊んでもらっていました。
部屋んぽは1日2回朝と夜に行い、15畳ほどのスペースを走り回っていました。
もこにストレスを感じさせないように気をつけていました。
次回の予定
次回はペット火葬について書いていく予定です。
それでは、次回もよろしくお願いします!
最後に
もことの思い出は数え切れない程あります。
約3ヶ月に及ぶ介護は大変でしたが、その分一緒にいる時間も長くなり最期は私の手の中でお別れが出来ました。
今後は介護のことや、病院や葬儀、楽しかった思い出、食事や遊びについても詳しく書いていければと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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