なんかここまで話が噛み合わないと、この人何故そんなに批判されるのか本当にわかって無いのかも


> 「ヘルパーを使う」もそう。障害者は「ヘルパーを使う」とよく言うけれど、障害のない人には「人をこき使う、鼻で使う」みたいなイメージがあるらしく→

生まれた時から(乳幼児の時は健常者もそうだけど)誰かが介助(手助け)をするのは当たり前の生活だったから

自分の思う様に周りが動くのが当たり前になっちゃってるのかな?



高校時代の思い出を書いたもの

、首里高校への進学を応援してくれたのは、小学5年生から通っていた学習塾の友だちと先生でした。「一緒に首里高校に行こう。階段は抱っこをするよ」と言ってくれていたのです。
塾も二階にありました。塾に入るのも、トイレに行くのも、いつも友だちが抱っこをして手伝ってくれました。だから高校生活もこれで乗り切れる、と思っていたのです。
そしてバリアがあるのが当たり前の世の中なのだから、敢えて階段のある所に行って、友だちに助けてもらう経験、サバイブする技術を身につけたいとも思っていました。頭の中は彼のことでいっぱい、青春の高校生活を送るのよ! という想いを胸に隠しながら、まわりの説得を続けました。

コレ、乗車拒否の文と同じ感じ



その後、高校に合格
彼女の為に障害者用のトイレも設置、3年間階段は友人達が抱っこしてくれたそうです

自分の思い通りになった



学校だと少なくとも登校下校で2回は階段を使い、選択教科等でも使っていたでしょう、その度に階段は抱っこしてくれる

彼女にとっては当たり前の事だったんです重い車椅子運搬も含めて

なので当たり前の事なんで他の人がこんなに怒っているのか理解ができない

当たり前の事だから感謝はしない

用は自分にとっての常識は他人から見たら非常識

彼女が本当はどう思っているのかはわからないけど
こう思っているならあれ程感謝の気持ち無く強要出来る事に納得

当たり前の反対はありがとうだそうです