あの日は2時に家を出て、娘2のスイミングスクールへ。
 
着替えを手伝ったあと、2時40分からのスクールに娘を置いて、
定期考査で早帰りの息子1を拾いに近くの駅へ向かいました。
 
息子の希望でTSUTAYAの駐車場へ入ったところで
ポケットのケータイが聞いた事のない音を発したのです。
 
運転中だったので内容の確認もせず、お店の入り口で息子1を降ろした直後
グラグラグラ・・・っと。。
ものすごい揺れでした。
息子曰く「立っていられなかった。」
 
お店もすぐに真っ暗になり入れず、車に戻って来た息子をのせ
プールへUターン・・・と、道路に出たら信号が全て停止。
 
信号が点いていないのに、車はいつも通りのスピードで(それ以上!?)走ってくるし
信号が点いていないせいで、車も間隔をあけずに、スピードも落とさずどんどん流れてくる。
 
右折を2回するのに四苦八苦。
右折がこんなにも恐いとは、若葉マークのころ以来かも。。
 
 
家までの道はすべて停電していて、
こんな事は初体験!なんて息子と話しをしながら帰宅。
 
幸い、自宅はなんの被害も無く、もの一つ倒れることも無く・・・。
停電にはなっていたので、大急ぎで懐中電灯とロウソクを探し出し
物置の奥底から石油ストーブを3台掘り出し、夜に備えました。
 
災害時、電化製品は何の役にも立たないですね。
ガス・灯油・電池・ロウソク・・・日頃ほとんど使わないものに助けられた。
 
ロウソクの下、鍋で炊いたご飯と、缶詰を食べたこと
家族全員で一部屋に寝たこと
忘れないでおこう。
 
 
 
地震から二日目の夕方に電気が戻りましたが
地震以来初めてテレビを見て、津波被害の凄まじさに声を失いました。
 
塩釜は息子1が生まれた場所。
仙石線には毎週のように乗りました。
 
小学校から大学まで仙台の学校でしたから、同級生も大勢居ます。
たぶん亡くなった人も居るでしょう。
 
 
 
心配していた宮城の実家は、未だに電話が通じません(無事は確認済み)。
叔父さん叔母さんの所在は相変わらず不明で
自宅のある地区は海沿いで、やはり壊滅的らしい・・・。
避難場所に居てくれれば・・・と祈るしかない。
 
連絡手段がないだけ。
たぶんみんな大丈夫!!