前回の続き
大きく当てたお金が底をつきかけてしまうと、生活資金に手をつけざるを得なくなります。
すっかりギャンブル脳になってしまった自分は、賭けるお金を作るためにまず節約を始めることにしました。
意味もなくコンビニに立ち寄って1000円程度の買い物をよくしていたのですが、それを減らし、気軽に飲みたい時に飲んでいた缶コーヒーもほとんど買わなくなりました。
生活の楽しみとして支出していた部分をカットして捻出したギャンブル資金を増やすには、一発逆転を狙える馬券に賭けるしかありません。
その時点では、かなりギャンブルの試行回数を重ねているので、自分の得意な条件、回収率、的中率などをすっかり把握していました。そういうデータを吟味すると、100倍程度のオッズの三連単や三連複をとるのはそこまで難しいことではないように思えました。
100倍に一万円張って帯封を手にすることは十分に可能だと信じていたのです。
この場合、とくに重要なことはレースの取捨なのですが、取捨をするためにはとりあえず全レースを真剣に予想しないと始まりません。各種データをもとにした予想に加えてパドックも見ていたので、なにしろ時間がかかります。
時間をかけて予想していると、せっかくだからちょっと買ってみようという気持ちにもなります。
対象を絞りに絞ってどかんと魂の馬券を購入するはずが、どうでもいいレースにまで薄く広く手を広げることにより、大儲けの機会を逃したなんて本末転倒な事態は、しばしばありました。
そう、その"機会"というキーワードこそ、自分をギャンブルに駆り立てる最大の理由でした。
機会損失という表現がありますが、ギャンブルをしていない時はまさに機会損失だと、普通に感じていたのです。
その感覚が習慣づいてくると、100円でもいいから何かに賭けていなくては気が済まなくなります。
100円とはいっても、競馬競輪競艇などは平日、休日を問わず一日に多くのレースが開催されているので、1万円くらいあっという間に遣いきります。
それを毎日続けていたら、と考えると恐ろしさしか湧いてきませんが、実際にはほぼ毎日続けていました。
もちろんたまには勝ちもしますので、実際の負債はもっと低い分、余計一発逆転の気持ちが湧き起こります。
そうして、いつのまにか自分は勝ち負けと同じくらい、いかに多くの機会にbetできるかということに焦点を置くようになっていました。
うーん……
こうやって書いていると、ここまでの内容で十分ギャンブル依存性だという気もしますが、まだ悪化していくことになります。
なんだか、すっかり完治した目線で語っているようですが、今現在ギャンブル依存性の真っ只中です。
またやりたくなったら、と思うとぞっとします。