1945年6月17日は、
鹿児島大空襲があった日ですね!
鹿児島女子興業学校(現 鹿児島女子高校)の碑(共研公園内)
戦時下の慰問演奏写真![]()
西郷隆盛南州翁宅地跡である、共研公園ですが、戦時中まで、鹿児島女子興業学校(現 鹿児島女子高校)がありました。
ここにあった、校舎は、度重なる空襲によって、鹿児島は、焼失したところが多いのですが、やはり空襲によって、焼失し、犠牲になられた方々も多かったそうです。。。。。
母から聞いた話ですが、銀色にキラキラ光りながら編隊を組んで飛ぶ爆撃機を見たことがあるそうです!
夜、灯りのない中、シュルルルと爆弾が落ちる音に怯える日々があったそうです。
大空襲の翌日、勤務していた職場へ友人と手を繋いで、歩いて出かけたそうです。。
とても大変でしたが、職場に着くと、職場の男性の方々が、夜通し、消火に当たられていたそうで、なんとか焼失を免れ、でも金庫は、とても熱くなっていて、冷めるのを待って開けたそうです!
平和は、とても有り難い事、今はとても恵まれた時代にあるのだと、父母がよく、話してくれました。。。。。
鹿児島女子興業学校、今の、鹿児島市立鹿児島女子高等学校は、とても音楽活動の盛んな学校で、戦時下、慰問演奏をしたそうです![]()
その慰問演奏の中に、今は亡き母も女学生として参加したそうですが、曲目の中に、『流浪の民』があり、私が伴奏して、出だしのところをしばらく歌ってくれた事がありました![]()
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その後は、女学生気分で、その頃の、先生の方々の事、お友達の事、いろいろなエピソードを、陽気な母が、楽しそうに話してくれました![]()
母が女学生のころ、卒業制作の服を着て、恩師の方を囲んで、記念写真を撮っています![]()
家族の洋服や編み物や着物は、ずっと手作りで、母と洋服の生地や毛糸、ボタンなど、買い求めに出かけ、洋裁の本からデザインはこれがいいとおしゃべりしながら、編み物をしたり、ミシンがけをしてくれた母を思い出します(
) ほとんど、服は買ったことがなく、手作りばかりでした〜
ささやかな家族の歴史です。。。
今も色々と大変な時代となっていますが。。。
その時代には、その時代の、大変さがありますね。。。。。
今も歴史の中、ずっとずっと大昔から繋がった今。。。。
それぞれに、いろいろとある中、身体大事に、乗り越えていきましょうね~
平凡な日々といっても波乱万丈、心の持ち様を大事に、キラキラ煌めくこと、語らうこと見つけて乗り越えていきたいです〜![]()
再アップですが。





