おはら祭』と同じ日、11月3日に行われる弥五郎どん祭りの由来とYou Tubeでみつけた、お祭りの様子の動画など、アップしたいと思います
弥五郎どん祭りは、出かけた事がないので、いつか行ってみたいな~と思っています
大きな弥五郎どん、間近でみたら、迫力がありそうですね


弥五郎どん祭り 県下三大祭り(おはら祭り、志布志お釈迦祭り、弥五郎どん祭り)のひとつ

 

ちなみに、鹿児島県三大行事は、・妙円寺詣り(日置市伊集院町)・赤穂義臣伝輪読会(鹿児島市)・蘇我の傘焼き(鹿児島市)だそうです

弥五郎どんは身の丈約5mの巨体に27反の梅染めの衣をまとい、4m24cmと2m85cmの大小の刀を腰に帯び、手に5m40cmの鉾を持ったその姿は勇壮そのものである。
夜中に響き渡る弥五郎どんふれ太鼓とともに弥五郎どん起こしが始まり、早朝6時頃岩川八幡神社の境内にその雄姿を現す。
弥五郎どん起こしに参加すると一年無病息災と言われ、たくさんの人が参加する。そして、祭りのハイライトである「浜下り」へと、威風堂々と四方を圧し、街中を練り歩く姿は、泣く子も泣き止むといわれている。

 

弥五郎どん祭りの由来について
弥五郎どん祭りは、非業の死を遂げた隼人の霊を鎮めるために行った放生会(ほうじょうえ)という祭礼と農村祭りのホゼ(農年祭)が結びついたのではと言われています。

弥五郎どんの浜下り祭事は「王の神幸」の行事と思われますが、弥五郎どんを先頭に行列が続きます。
おこの神幸が八幡神社の放生会(ほうじょうえ)とつながり、また時代と共に次第に偶像化し、巨人崇拝ともつながって大きな威巌のある弥五郎どんとなり、隼人の首領とも言われています。

別説には弥五郎どんは、6代の天皇に仕えたという伝説上の人物である武内宿禰(たけうちのすくね)とも言われています。

(西暦720年大隈隼人の反乱は1年を越える戦いで、隼人がおびただしい戦死者を出して大和朝廷に平定された。武内宿禰はその朝廷側の人物である)

 

弥五郎どんは、今では五穀豊穣の祈願や人々を守ってくれる守護神として尊崇を集めています。(現地案内板)

そんな弥五郎どんは現在、宮崎県山之口町の的野正八幡宮、鹿児島県曽於市の岩川八幡神社、宮崎県日南市の田之上八幡神社の三カ所で見る事が出来るそうです

引用の写真と動画ですが〜