9月1日は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。また、例年8月31日 - 9月1日付近は、台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められている。制定前年の1959年(昭和34年)9月下旬には、9月26日に上陸した伊勢湾台風が史上まれにみる被害をもたらした。〜とのことです!
*鹿児島市の照国通りの、旧県立博物館考古資料館がある敷地に、『桜島爆発記念碑』という大きな石碑があります
調べてみると、下記のような事だそうです!
桜島爆発記念碑は東桜島小学校のものが有名ですが、県立博物館の敷地内にもあります。この記念碑は鹿児島出身の地震学者今村明恒東京帝大教授の草案に基づいて鹿児島市が建立したものです。今村博士は、大正噴火時にも文明・安永噴火時と同様な顕著な前兆現象があったのに、その教訓が生かされなかったことを残念に思われ、石碑として後世に伝えようと提言されたのだそうです。(文責:岩松 暉) 〜とのことです!

***今村明恒について~ウィキペディアより
1870年、鹿児島県鹿児島市に薩摩藩士・今村明清の三男として生まれた。
鹿児島高等中学造士館予科を経て第一高等中学校を卒業後、1891年に東京帝国大学理科大学(現・東京大学)物理学科に進学、大学院では地震学講座に入り、そのまま講座助教授となる。1896年からは陸軍教授を兼任し、陸地測量部で数学を教えた。明治三陸地震発生を期に、1899年に津波は海底の地殻変動を原因とする説を提唱した。現在では広く受け入れられている説であるが、発表当時はほとんど受け入れられなかった。

今村明恒は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、震災対策を迫る記事「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」を、雑誌『太陽』に寄稿した。この記事は新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまった。そして上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された。

しかし1923年に関東地震(関東大震災)が発生し、今村明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。
1911年に今村式強震計を開発した。
『稲むらの火』の話を、学校の教科書に収載する事を訴え、それを実現させた、鹿児島県出身の地震学者でもあります!
嘉永7年11月5日(1854年12月24日)、安政南海地震が発生し、南海道・東海道を大津波が襲った。このとき、紀伊国広村で濱口梧陵が稲藁に火をつけて津波の襲来を知らせ村人を避難させたという実話を元に小泉八雲が『稲むらの火』という物語を執筆し、後に、今村明恒の尽力により、小学校の教科書にも掲載された。

**自然災害への日頃からの準備は、なかなか日常生活の中では、すぐ忘れがちになってしまいます。。。
特に、大地震や火山の大噴火は、数年以内なのか、数十年以内なのか、数百年以内なのか、千年に1度か、、、規模はどの程度なのか、、、、検討がつかないところがあり、そしてどこで遭遇するかもわからず、日常生活にその緊急事態の準備を組み込んでいく難しさを感じますが、この『桜島爆発記念碑』を作った、今村明恒博士の思いが伝わり、やはりできる備えを少しずつでも具体的にしていこうと思いました。。。

NHKの、『MEGAQUAKE』や、『歴史秘話ヒストリア』でも取り上げられていたので、ご存知の方々多いと思いますが。。。
 
近づいている、台風21号の進路、気がかりですね〜!