昨日は、佐渡島定期観光バスで巡るコースのうち、佐渡金山中心に巡るコースの中から、佐渡島の海と佐渡島揚島遊園の断崖と、カモメたちをご紹介しましたが、今日は、佐渡金山について、ご紹介します音譜

佐渡金山のうちでも、江戸時代のものと明治時代のものがありましたが、江戸時代の坑道などや解説等ある、歴史館を見学しました音譜

史跡 佐渡金山 ホームページに、リンクしておきますので、詳しくはどうぞご覧くださいね音譜

過酷な厳しい状況の中、一生懸命に生きた方々の、日々の労働や暮らし、何気ないささやかな日々の営みを感じるように、たくさんのお人形さんで、展示してあり、佐渡金山の全体の仕組みや金採掘から大判小判になっていく、過程など、観やすくわかりやすかったです音譜

坑道もちょっと広めの宗太夫坑、そして、狸穴と呼ばれる、人ひとりが、やっと這っていけるような、狭い坑道もありましたビックリマーク




北前船の模型

北前船について
北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう船のことである。西廻り航路の通称でも知られ、航路は後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長された。~ウィキペディアより引用



新潟港は、北海道からの物産をさらに南に運ぶ、中継港でもあり、北前船は、北海道の昆布を大阪へ運び、薩摩藩は、さらに沖縄、中国に運んだそうですビックリマーク

そして、新潟県は、江戸時代、そして明治時代もしばらくは、多くの農産物の産地でもあり、物流の拠点でもあり、人口も江戸より多かったそうですビックリマーク


江戸時代、北海道から日本海沿岸を経由し本州の最西端の下関を回り瀬戸内海を経て大阪に至る「北前船」の航路(寄港地)が大きく影響しているものと思われます。
 「北前船」は米・莚・醤油等を北海道に運び、帰りに昆布・鰊の〆粕(魚肥)を本州にもたらしました。商品を運ぶだけでなく、出航地で仕入れた商品を、寄港地で売りさらに別の商品を売り捌く為、北前船の行く先々の港・港で積荷の昆布を降ろし、そこで独自の昆布の食文化が発達し、現在まで殆ど変化することなく引き継がれているのです。

 食文化といえば、数年前まで昆布の消費量日本一といわれた「沖縄」を忘れてはなりません。「昆布」は沖縄の家庭料理に欠かせない食材です。高価な昆布が北海道から遥かに遠く離れた沖縄の庶民が、何故安価で大量に入手できたのでしょう。
 1820年頃、「北前船」の航路に目を付けた「藩」がありました。
莫大な借金に苦しむ「薩摩藩」です。薩摩の砂糖を大阪や下関で昆布に変え、その昆布を沖縄(当時の琉球国)を通じて中国(当時の清国)に運ぶ貿易が盛んに行われています。その結果明治維新までの50年間に借金を返済し、逆に蓄財するまでに回復しています。~引用先☆『昆布が歴史を変えた』~『昆布の道』北海道大学名誉教授 大石圭一著  第一書房発行 よりに、リンクしておきます音譜