こちら鹿児島は、今日も青空広がり、白い夏雲がもくもくとする、日射しの強い一日となっています
そんな中、『鹿児島近代文学館』で開催されている『宮沢賢治 詩と絵の宇宙』展へ、出かけてみました
子供の頃、何度も、繰り返し読んだり、映画やアニメになっている作品を鑑賞したり、大人になっても惹かれ続け、また読み返したり、色々な絵画等の作品に触れる機会が多く。。。
そんな身近な宮沢賢治の作品ですが、実際に書かれた原稿や描かれた絵画、そして、そのたくさんの作品は、とても絵画的で、突拍子もなかったり、、、イマジネーションをかき立てるものが多く、たくさんの画家やイラストレーターの方々の作品が展示してあって、とても興味深いものでした
何度でも訪れて、じっくり拝見したくなりました~
『宮沢賢治 詩と絵の宇宙』の作品が載っている、図録解説本を購入しました
宮沢賢治さんのお散歩姿の後ろに手を組んで、ちょっと前屈みのポーズの写真は、有名ですが、どことなく、似ているな~と思った姿がありましたが、やはり尊敬する方をまねて、写真を撮っていただいたそうで。。。な~るほどと思いました
久しぶりに、近代文学館の常設展も観てきたのですが、鹿児島に縁の文学者の方々の直筆のもの多く展示してあり、ここもやはり、また訪れたくなりました~
特に、詩人の黒田三郎さんは、上石神井に住んでいらっしゃる時に、大学で講座を持っていらして、その時に、講義を1年間、受講した事がありました
詩についての概論的な、優しく馴染みやすいお話でした
その後、詩を観てくださったり、親しくさせていただいて、何度かお便りもいただきました
とても優しい穏やかなお人柄で、ステキな方でした
今日の西郷隆盛像とテンパーク
鹿児島県奄美市に在住した事がありますが、その時に、松谷みよ子さんや司修さん、日本民話の会の方々が、奄美を訪れてくださって、ちょうど奄美民話の会に入っていたので、会食ごいっしょさせていただいて、お話がみなさんとはずんで、楽しい思い出で、司修さんの宮沢賢治さんの作品の絵画作品が、いくつも展示してあって、懐かしかったです
そんな奄美に在住の折に、知った、喜界島の七夕羽衣伝説です
独自の民話、北から南から大陸から入ってきたお話と、様々な人々の交流の宝物の民話が、奄美にはたくさんあります


喜界島の七夕羽衣伝説


昔々、喜界島にひとりの若い漁師が住んでいました。その日も、漁が終わり、たくさんの魚を持って家路につく所でした。
いつもの道を足早に歩いて我が家近くの小川にさしかかると、今まで嗅いだ事がない香しいとても良い香りがします。
何だろうと辺りを見回すと、美しい女性が、水浴びをしているではありませんか。男はびっくりしていましたが、その良い香りは、木の枝にかけられた美しい見た事もない布の香りでした。 女性が水浴びをしていて気づかない間に、漁師は、思わずその布を取り、思いました。
こんな布は見た事もない。きっとこれは、羽衣に違いない。あの女性は、きっと天女に違いない。
そして、その羽衣をふところにしまい、そのまま、家路についてしまいました。
しばらくして、水浴びを終え、女性が小川から上がってくると、羽衣がありません。
あの布がなくては、天に私は帰れない。どうしたらいいのかしら。。。。
と途方にくれましたが、気を持ち直し、歩いて行くと、一軒の家があります。
そうだ、ここの家で訊いてみよう。 そう思って、女性は、戸を叩きました。
すると、漁師が出て来ましたが、漁師は、こんな風に言いました。
「どうぞ、私の嫁になってください。」 そして、羽衣は、漁師が隠してしまったと天女は思いました。
天に帰れないと悲しみましたが、どうする事もできず、しばらく、漁師と暮らす事になりました。
漁師は、天女に恋をしていました。もう、天へ返したくない、そう思って、羽衣を高倉という倉の中に隠してしまって、天女に在処を教えませんでした。
天女は、漁師と暮らすうちに、漁師の優しさ、そして、毎日の漁を支える暮らしにだんだんなじみ、何年も過ごす事になりました。そのうち、子供もたくさん、生まれ、それはそれは、にぎやかな日々でした。
大きくなった長女は、下に生まれた赤ん坊を背中に背負って、子守りをしていました。
漁師は、漁に出かけて留守でした。
天女は、ふと見上げた空を見つめながら、天に残したお父さんお母さん、どうしている事でしょうと思いました。それなりに幸せな日々ですが、もう、天女さんのお父さん、お母さんに会えないのかしらと思ったら、天女さんは、悲しくなりました。
その日も、楽しく子供たちと遊んだりして過ごすうち、その長女が、赤ん坊を背負いながら子守唄で、こう、歌いました。
♫あんまの(おかあさんの)羽衣は、高倉の中、天に昇れば帰らない
わんぬじゅう(私のお父さん)は、隠して言わぬ 天に昇れば寂しいと♫
(お父さんは、羽衣の在処、高倉の中に隠したって、言わない。だって、言ったら、お母さんは、天に戻って帰らないもの。そしたら、お父さん,寂しくて、私も寂しくて、、、、)
つい、子守唄で羽衣の在処を歌ってしまった長女の歌を聞いてしまって、天女さんは、急に、お父さんお母さんに会いたくて会いたくて仕方がなくなりました。
そして、天女さんは、高倉という倉の中に探しに行き、羽衣をみつけて、羽衣を身にまとうと、綺麗に舞いながら、空へ空へと登って行ってしまいました。
。。。。。。続く


天女さんは、久しぶりにお父さんの天帝(天を治める王様)に会えて、とてもうれしく思い、久しぶりに会ったお父さんもとても喜んでくれました。お母さんもとても喜んでくれました。そしてまた、天の国で、機織りを始めました。
でもすぐにとても寂しく思いました。私の子供たち、どうしているかしら、私の愛しい人、どうしているかしらと、機織りをしていても仕事にならないほど、切なくなり、涙が止まりません。
そこへ白鷺が飛んできて慰めてくれ、その白鷺に手紙を託す事にしました。
白鷺は、漁師の家へ飛んで行き、手紙を渡しました。その手紙には、こんなことが書いてありました。
「百足のわらじを家族みんなで作って、それを天まで並べて、天への階段にして登って来て下さい。」
それから、漁師と子供たちは,一所懸命にわらじを作り、とうとう百足になり、それを並べて、天への階段を作り、みんなで登って行きました。そして、天女さんが迎えて、久しぶりに家族水入らず、楽しい日を過ごしました。
そして、家族楽しく、毎日毎日、働かず、皆で遊んでばかりだったので、天帝が漁師に無理難題を言いつけました。広い広い、天の畑を耕せというのです。そう言われたので,漁師は一所懸命耕しましたが,耕しきれずに悲しんでいると、天女さんが言いました。
「鍬(くわ)を枕に寝てください。そうしたら、明日はきっと耕し終わっているでしょう。」
その通りにすると、耕す夢を見て,朝になると、天の広い広い畑は、耕し終わっていました。
そして、冬瓜という大きな瓜の苗を植えていきました。
しばらくすると、たんさんの冬瓜がなりました。 漁師も天女さんも子供たちもとても喜びました。
そして、料理する事になり、大きな瓜なので、漁師が冬瓜を切る事になりました。
天帝は、縦に切りなさいと言いましたが、天女さんは、横に切って下さいねと言いました。
漁師は迷いましたが、天帝の言う事をきいて、縦に切りました。
すると、その冬瓜から水がどんどん溢れ出して、その水は止まらず、ざあざあと流れ出して、大きな流れになりました。その流れで、天女さんと漁師さんと子供たちと、みな別れ別れになってしまいました。
それが天の川という天の川になったそうです。そして、それでは、あまりにかわいそうと、年に一度、七夕の日に、白鷺が橋をかけて、川のこちらとあちらをつなぎ、天女さんと漁師さん、子供たちが会えるようにしたというお話です。これが、みけにゃんママが、聞いたり奄美で読んだ本に載っていた、喜界島に伝わる七夕羽衣伝説です
いろいろなお話があるのは、様々な所との人々の交流があったから。。。。
そして、その交流は、たくさんの民話をあちらこちらに伝え、それが、その地域で育ち、時代が変わっても受け継がれ、様々なお話にアレンジされて。。。。。
今も素敵な宝物になっています。。。。
南西諸島には、いろいろな民話があり、奄美大島在住の折には、その時々の行事、祭り、そして島唄とともに、たくさんの民話に接する機会があり、独特の自然と文化、とても大事な宝物に感じました

田中一村さんの絵画と同じ風景が、そこにありました

『田中一村記念美術館』に、リンクしています

奄美大島に在住の折は、よく一日中、海へでかけていました

夕陽を眺め、夕陽が沈んでも、海辺にいました
懐かしくて探してみたら、奄美大島の大浜海岸の動画がありました
海の向こうからしあわせが運ばれてくるという、ネリヤカナヤという海のむこうにある楽園があるそうです
奄美大島在住の時に、美しい海の向こうを眺めていたら、そんな思いがわかるような気がしました

そんな中、『鹿児島近代文学館』で開催されている『宮沢賢治 詩と絵の宇宙』展へ、出かけてみました

子供の頃、何度も、繰り返し読んだり、映画やアニメになっている作品を鑑賞したり、大人になっても惹かれ続け、また読み返したり、色々な絵画等の作品に触れる機会が多く。。。
そんな身近な宮沢賢治の作品ですが、実際に書かれた原稿や描かれた絵画、そして、そのたくさんの作品は、とても絵画的で、突拍子もなかったり、、、イマジネーションをかき立てるものが多く、たくさんの画家やイラストレーターの方々の作品が展示してあって、とても興味深いものでした

何度でも訪れて、じっくり拝見したくなりました~

『宮沢賢治 詩と絵の宇宙』の作品が載っている、図録解説本を購入しました

宮沢賢治さんのお散歩姿の後ろに手を組んで、ちょっと前屈みのポーズの写真は、有名ですが、どことなく、似ているな~と思った姿がありましたが、やはり尊敬する方をまねて、写真を撮っていただいたそうで。。。な~るほどと思いました

久しぶりに、近代文学館の常設展も観てきたのですが、鹿児島に縁の文学者の方々の直筆のもの多く展示してあり、ここもやはり、また訪れたくなりました~

特に、詩人の黒田三郎さんは、上石神井に住んでいらっしゃる時に、大学で講座を持っていらして、その時に、講義を1年間、受講した事がありました

詩についての概論的な、優しく馴染みやすいお話でした

その後、詩を観てくださったり、親しくさせていただいて、何度かお便りもいただきました

とても優しい穏やかなお人柄で、ステキな方でした

今日の西郷隆盛像とテンパーク

鹿児島県奄美市に在住した事がありますが、その時に、松谷みよ子さんや司修さん、日本民話の会の方々が、奄美を訪れてくださって、ちょうど奄美民話の会に入っていたので、会食ごいっしょさせていただいて、お話がみなさんとはずんで、楽しい思い出で、司修さんの宮沢賢治さんの作品の絵画作品が、いくつも展示してあって、懐かしかったです

そんな奄美に在住の折に、知った、喜界島の七夕羽衣伝説です

独自の民話、北から南から大陸から入ってきたお話と、様々な人々の交流の宝物の民話が、奄美にはたくさんあります



喜界島の七夕羽衣伝説


昔々、喜界島にひとりの若い漁師が住んでいました。その日も、漁が終わり、たくさんの魚を持って家路につく所でした。
いつもの道を足早に歩いて我が家近くの小川にさしかかると、今まで嗅いだ事がない香しいとても良い香りがします。
何だろうと辺りを見回すと、美しい女性が、水浴びをしているではありませんか。男はびっくりしていましたが、その良い香りは、木の枝にかけられた美しい見た事もない布の香りでした。 女性が水浴びをしていて気づかない間に、漁師は、思わずその布を取り、思いました。
こんな布は見た事もない。きっとこれは、羽衣に違いない。あの女性は、きっと天女に違いない。
そして、その羽衣をふところにしまい、そのまま、家路についてしまいました。
しばらくして、水浴びを終え、女性が小川から上がってくると、羽衣がありません。
あの布がなくては、天に私は帰れない。どうしたらいいのかしら。。。。
と途方にくれましたが、気を持ち直し、歩いて行くと、一軒の家があります。
そうだ、ここの家で訊いてみよう。 そう思って、女性は、戸を叩きました。
すると、漁師が出て来ましたが、漁師は、こんな風に言いました。
「どうぞ、私の嫁になってください。」 そして、羽衣は、漁師が隠してしまったと天女は思いました。
天に帰れないと悲しみましたが、どうする事もできず、しばらく、漁師と暮らす事になりました。
漁師は、天女に恋をしていました。もう、天へ返したくない、そう思って、羽衣を高倉という倉の中に隠してしまって、天女に在処を教えませんでした。
天女は、漁師と暮らすうちに、漁師の優しさ、そして、毎日の漁を支える暮らしにだんだんなじみ、何年も過ごす事になりました。そのうち、子供もたくさん、生まれ、それはそれは、にぎやかな日々でした。
大きくなった長女は、下に生まれた赤ん坊を背中に背負って、子守りをしていました。
漁師は、漁に出かけて留守でした。
天女は、ふと見上げた空を見つめながら、天に残したお父さんお母さん、どうしている事でしょうと思いました。それなりに幸せな日々ですが、もう、天女さんのお父さん、お母さんに会えないのかしらと思ったら、天女さんは、悲しくなりました。
その日も、楽しく子供たちと遊んだりして過ごすうち、その長女が、赤ん坊を背負いながら子守唄で、こう、歌いました。
♫あんまの(おかあさんの)羽衣は、高倉の中、天に昇れば帰らない
わんぬじゅう(私のお父さん)は、隠して言わぬ 天に昇れば寂しいと♫
(お父さんは、羽衣の在処、高倉の中に隠したって、言わない。だって、言ったら、お母さんは、天に戻って帰らないもの。そしたら、お父さん,寂しくて、私も寂しくて、、、、)
つい、子守唄で羽衣の在処を歌ってしまった長女の歌を聞いてしまって、天女さんは、急に、お父さんお母さんに会いたくて会いたくて仕方がなくなりました。
そして、天女さんは、高倉という倉の中に探しに行き、羽衣をみつけて、羽衣を身にまとうと、綺麗に舞いながら、空へ空へと登って行ってしまいました。
。。。。。。続く



天女さんは、久しぶりにお父さんの天帝(天を治める王様)に会えて、とてもうれしく思い、久しぶりに会ったお父さんもとても喜んでくれました。お母さんもとても喜んでくれました。そしてまた、天の国で、機織りを始めました。
でもすぐにとても寂しく思いました。私の子供たち、どうしているかしら、私の愛しい人、どうしているかしらと、機織りをしていても仕事にならないほど、切なくなり、涙が止まりません。
そこへ白鷺が飛んできて慰めてくれ、その白鷺に手紙を託す事にしました。
白鷺は、漁師の家へ飛んで行き、手紙を渡しました。その手紙には、こんなことが書いてありました。
「百足のわらじを家族みんなで作って、それを天まで並べて、天への階段にして登って来て下さい。」
それから、漁師と子供たちは,一所懸命にわらじを作り、とうとう百足になり、それを並べて、天への階段を作り、みんなで登って行きました。そして、天女さんが迎えて、久しぶりに家族水入らず、楽しい日を過ごしました。
そして、家族楽しく、毎日毎日、働かず、皆で遊んでばかりだったので、天帝が漁師に無理難題を言いつけました。広い広い、天の畑を耕せというのです。そう言われたので,漁師は一所懸命耕しましたが,耕しきれずに悲しんでいると、天女さんが言いました。
「鍬(くわ)を枕に寝てください。そうしたら、明日はきっと耕し終わっているでしょう。」
その通りにすると、耕す夢を見て,朝になると、天の広い広い畑は、耕し終わっていました。
そして、冬瓜という大きな瓜の苗を植えていきました。
しばらくすると、たんさんの冬瓜がなりました。 漁師も天女さんも子供たちもとても喜びました。
そして、料理する事になり、大きな瓜なので、漁師が冬瓜を切る事になりました。
天帝は、縦に切りなさいと言いましたが、天女さんは、横に切って下さいねと言いました。
漁師は迷いましたが、天帝の言う事をきいて、縦に切りました。
すると、その冬瓜から水がどんどん溢れ出して、その水は止まらず、ざあざあと流れ出して、大きな流れになりました。その流れで、天女さんと漁師さんと子供たちと、みな別れ別れになってしまいました。
それが天の川という天の川になったそうです。そして、それでは、あまりにかわいそうと、年に一度、七夕の日に、白鷺が橋をかけて、川のこちらとあちらをつなぎ、天女さんと漁師さん、子供たちが会えるようにしたというお話です。これが、みけにゃんママが、聞いたり奄美で読んだ本に載っていた、喜界島に伝わる七夕羽衣伝説です

いろいろなお話があるのは、様々な所との人々の交流があったから。。。。
そして、その交流は、たくさんの民話をあちらこちらに伝え、それが、その地域で育ち、時代が変わっても受け継がれ、様々なお話にアレンジされて。。。。。
今も素敵な宝物になっています。。。。
南西諸島には、いろいろな民話があり、奄美大島在住の折には、その時々の行事、祭り、そして島唄とともに、たくさんの民話に接する機会があり、独特の自然と文化、とても大事な宝物に感じました


田中一村さんの絵画と同じ風景が、そこにありました


『田中一村記念美術館』に、リンクしています


奄美大島に在住の折は、よく一日中、海へでかけていました


夕陽を眺め、夕陽が沈んでも、海辺にいました

懐かしくて探してみたら、奄美大島の大浜海岸の動画がありました

海の向こうからしあわせが運ばれてくるという、ネリヤカナヤという海のむこうにある楽園があるそうです

奄美大島在住の時に、美しい海の向こうを眺めていたら、そんな思いがわかるような気がしました





