13日で8歳の誕生日を迎える、ひこにゃんの誕生日会が、今日、行われるそうですラブラブ音譜ラブラブ

平成26年4月13日(日) 10:30~
場所
彦根城本丸(天守前) ※雨天の場合は、彦根城博物館周辺~ひこにゃん公式サイトより引用しましたので、リンクしておきますね音譜


由来については、こういう事があったそうです!!

江戸郊外武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。この白猫の伝説、いわゆる「招き猫発祥伝説」のひとつを元に想起された。

なお、豪徳寺を含む世田谷の地は、1633年(寛永10年)に江戸幕府より井伊家に下賜され、彦根藩所領地となっていた。これは現在の世田谷区のうち、面積にしておよそ半分程度にあたる。

人に歴史ありビックリマーク 猫ちゃんにもわんちゃんにも、そして動物たちにもそれぞれの歴史があるのでしょうね~!!

篤姫様も動物好きだったようで、子供の頃は、家で犬を飼っていて、ご結婚されてからは、猫を飼っていたそうです音譜
色々な本やネットからの情報によると、小さい頃、実家では、狆を飼っていたそうです音譜

そして、江戸城では、夫の家定さまが、犬嫌いだったので、猫を飼い始め、初めに飼った猫には、「みち姫」と名付けて、かわいがっていたそうですが、しばらくして死んでしまったそうです。。。

そして、幾島が、かわいい三毛の子猫を、連れて来て、篤姫は、「さと姫」と名付けて、とてもかわいがったそうです音譜

篤姫が、お食事の時に、いっしょに、さと姫のお膳も出され、アワビの貝の形をした瀬戸ものに入れられたお料理だったそうです音譜
いつもはお魚ですが、精進の日には、どじょうと鰹節を出されたそうですビックリマーク

年間25両ほど、かかったそうですビックリマーク

「さと姫」の専属お世話係は、ませ、つゆ、はなの三人でしたビックリマーク

「さと姫」は、外出もしたりして、毎年、5~6匹の子猫を産んだそうで、子猫ちゃんたちは、大奥の方々が、それぞれにあちらこちらにもらっていったのでしょう音譜

大奥のペットで、猫は人気があったようです音譜
そして、夫、家定さまとは、1年半ほどの生活でしたが、猫の「さと姫」とは、16年ほど、生活を共にして、大事にされたそうです音譜

直接のお話は、三田村鳶魚という江戸文化&風俗の研究家の方が、篤姫の飼っていらした猫、「さと姫」の3人のお世話係のひとり、御年寄・瀧山の姪の大岡ませ子さんから、いろいろと訊いて、記述したものの中にあります音譜
以下、大奥の猫について、
『江戸・東京ときどきロンドン』
からの引用です音譜

お年寄りとか中臈クラスの奥女中たちは ほとんど猫を飼っていたといいますよ
この猫たちが妊娠すると みんな競ってその子をもらいたがり 「予約」までしたそうです
これは 上役へのごきげん取りでもあったようですが
生まれた子猫が乳ばなれすると 鰹節 鮮魚一かご 「ちゃんちゃん」と言った猫の着物2,3枚をつけて 里親(!)にわたされます
ペット用の衣装って 江戸時代からあったんですねー
これ以外に 里親にも 銘仙の着物一反を 贈ったそうです
もらった方も 子猫の誕生日には 赤飯を炊いて 人を招き
呼ばれた方は 猫のおもちゃなどのプレゼントを持っていきます
さらに メス猫なら 3月に「お雛祭り」
オス猫なら 5月の節句をちゃんとやってもらいます
人間並みに 可愛がられてたんですね
まあ 一生奉公の人が多く 将軍のお手がつかなきゃ
子供を持つことも 「夢のまた夢」だった奥女中たちにとって
「猫」は 行き場のない母性愛を満たしてくれる 格好の相手だったんでしょう
そう思うと 大奥の女性たちも かわいそうですね



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以下は、面白いので、南日本新聞 373news. com. の2008年4月の記事からの引用を載せてみます音譜


大奥には精進日がある。そのときには生ものが出せないため、サト姫用のドジョウとカツオ節がわざわざ用意され、その費用だけで、年間25両もかかったという。

 サト姫は紅絹のヒモの首輪に銀の鈴をつけていた。ヒモは1カ月ごとに取り換えた。日頃(ひごろ)は篤姫の着物のすそに寝そべっていたという。専用の布団もあった。管籠(くだかご)(磨いた竹を枠にした籠)に縮緬(ちりめん)の布団を敷いてもらって、そのなかで寝た。

 サト姫は行儀もよかった。奧女中たちの居室である三の間に入ってくると、「お間違い、お間違い」といえば、おとなしく篤姫の部屋へ戻った。女中たちからお下がりの紙包みをもらうと、その場で食べないで、自分の御膳まで持って行ってから食べたという。

 その代わり、交尾(さかり)の時期など大変で、外に出ていなくなってしまう。大奥の付属施設である御広敷の男の役人に頼んで捕まえてもらう。役人たちが「おサトさん、おサトさん」と呼んで捜すのを見て、ませ子たちは「それではいても逃げてしまう」と笑いころげたという。

 大奥のある本丸御殿が火災で焼けたときには、サト姫は管籠に入れられて一緒に避難したほど、大事にされた。

 篤姫にとって、サト姫との付き合いは、わずか1年半しかなかった夫家定との生活よりもはるかに長かった。夫亡きあと、幕府の倒壊を目の当たりにするなかで、サト姫は篤姫の孤独や不安を癒やしてくれる存在だったのではないだろうか。

 さて、篤姫はもともと狆が好きだったというからには、鹿児島時代に狆を見たか、飼っていた可能性があるのではないか。

 その傍証はある。薩摩産の狆がいる。篤姫の養父である島津斉彬は水戸の徳川斉昭に狆を贈っている(「島津斉彬文書」上巻)。

 弘化2(1845)年11月、斉彬が斉昭に宛(あ)てた書簡には「狆のことですが、時々病気がちとのこと。どうやら持病のようです。ちょうどこちらに1匹在り合わせがありますから、今日差し出しましょう。お心にかなえば、進上致します。病気をもっておらず、ほかの狆とも仲よくやれる狆です」
 ほどなく斉昭から礼状が来た。

「御国産(おくに)の黒狆、とくにご秘蔵のものを分けていただき、感謝にたえません。お知らせのとおり、よく馴(な)れていて、私の膝(ひざ)もとを離れません。手入れもよく、毛並みも格別です」
 斉昭が「御国産」と述べているので、薩摩では狆を独自に飼育していたのだろう。篤姫もそうした狆を飼っていたのかもしれない。

南日本新聞 2008年4月12日の記事より


にゃー詳しくは、下記にいろいろとリンクしてみますので、ご興味のある方は、どうぞ御覧下さいね音譜

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