こちらは、小雨が降ったり止んだりのお天気となっていますが、木々の緑や花々の色が雨にぬれて鮮やかな感じがします
桜も種類によっては、咲き始めているようですが、今日は、以前、でかけた、伊佐市の忠元公園の桜の花々を再アップしますので、楽しんでいただければと思います
2011年4月3日のブログ記事再アップ
昨日は、桜の花を愛でながら、ドライブがてら伊佐市方面へでかけました
伊佐市大口には、以前、山野線が通っていた頃の、薩摩大口駅跡、そして、山野線の後は、道路となって、まっすぐ続いています
山野線 ウィキペディアにリンクしています
とても素敵なページをみつけました

山野線 いつまでも

帰り道にみかけた在来線の列車~
磯~竜ケ水付近
山里の満開の桜~
忠元公園の桜も満開となって、とても綺麗でした~
広々とした芝生の周りにたくさんの桜、そして、桜並木、ホントにたくさんの桜が植えられていて、とても綺麗に咲いていました
多くの方々が、散策したり、のんびり寝転がったり、お弁当を広げていたり、それぞれに桜を愛でながら楽しんでいました
伊佐市 ホームページに詳しく記載があります
2011年4月5日のブログ記事再アップ
満開の桜の木々がたくさんあって、広々とした公園である、忠元公園には、忠元神社があります
古い歴史のある、神社です。
新納忠元公を祀ってある神社ですが、新納忠元公については、下記を参照してくださいね
薩摩島津家の重臣。祐久の子。忠堯の父。
天文七年(1538)、島津貴久に謁し、以後、義久・義弘・家久に仕え、数多くの合戦に功をたてる。天正二年(1574)、肝付・伊地知氏を帰順させる。同八年以後、肥後攻略の将として活躍したが、同十年には肥前の戦で子の忠堯を失う不幸に遭った。豊臣秀吉の九州進攻の際、当主義久の和議の方針に反対して抗戦を主張したが、結局義久の説得により降伏した。
「鬼武蔵」と呼ばれてその武勇を怖れられる一方、学芸にも長じ、和歌・連歌を好んだ。陣中、火縄の明りで古今集を読んだとの逸話が伝わる。また細川幽斎に和歌の指導を請うた。
やはり 伊佐市には、郡山八幡神社があって、国指定重要文化財となっています。
郡山八幡神社は、建久5年(1194年)に創建されたといわれ、現在の建物は京都・金閣寺より古い16世紀頃に建てられたものです。今から500年近く前の建物が中央文化から遠く離れた薩摩に残っていることは非常に珍しく、昭和24年に国の重要文化財に指定されました。
昭和29年の解体修理の際、本殿北東の柱貫の先端から宮大工の落書きが発見されました。これは施工主の寺僧がケチで、改築にあたっていた宮大工に一度も焼酎をご馳走してくれなかったのに腹を立てて書き残したものと思われます。これが、わが国における「焼酎」という文字の初見であるとされています。
永禄2年(1559年)当時、すでにこの地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ、民俗資料としても従来の説を覆す重要な資料となりました。
伊佐市☆忠元公園の2014年の
桜まつり
は、3月30日だそうです
3月30日は、あちらこちらで桜まつりとなりそうですね

桜も種類によっては、咲き始めているようですが、今日は、以前、でかけた、伊佐市の忠元公園の桜の花々を再アップしますので、楽しんでいただければと思います

2011年4月3日のブログ記事再アップ

昨日は、桜の花を愛でながら、ドライブがてら伊佐市方面へでかけました

伊佐市大口には、以前、山野線が通っていた頃の、薩摩大口駅跡、そして、山野線の後は、道路となって、まっすぐ続いています

山野線 ウィキペディアにリンクしています

とても素敵なページをみつけました


山野線 いつまでも

帰り道にみかけた在来線の列車~

磯~竜ケ水付近
山里の満開の桜~

忠元公園の桜も満開となって、とても綺麗でした~

広々とした芝生の周りにたくさんの桜、そして、桜並木、ホントにたくさんの桜が植えられていて、とても綺麗に咲いていました

多くの方々が、散策したり、のんびり寝転がったり、お弁当を広げていたり、それぞれに桜を愛でながら楽しんでいました

伊佐市 ホームページに詳しく記載があります

2011年4月5日のブログ記事再アップ

満開の桜の木々がたくさんあって、広々とした公園である、忠元公園には、忠元神社があります

古い歴史のある、神社です。
新納忠元公を祀ってある神社ですが、新納忠元公については、下記を参照してくださいね

薩摩島津家の重臣。祐久の子。忠堯の父。
天文七年(1538)、島津貴久に謁し、以後、義久・義弘・家久に仕え、数多くの合戦に功をたてる。天正二年(1574)、肝付・伊地知氏を帰順させる。同八年以後、肥後攻略の将として活躍したが、同十年には肥前の戦で子の忠堯を失う不幸に遭った。豊臣秀吉の九州進攻の際、当主義久の和議の方針に反対して抗戦を主張したが、結局義久の説得により降伏した。
「鬼武蔵」と呼ばれてその武勇を怖れられる一方、学芸にも長じ、和歌・連歌を好んだ。陣中、火縄の明りで古今集を読んだとの逸話が伝わる。また細川幽斎に和歌の指導を請うた。
やはり 伊佐市には、郡山八幡神社があって、国指定重要文化財となっています。
郡山八幡神社は、建久5年(1194年)に創建されたといわれ、現在の建物は京都・金閣寺より古い16世紀頃に建てられたものです。今から500年近く前の建物が中央文化から遠く離れた薩摩に残っていることは非常に珍しく、昭和24年に国の重要文化財に指定されました。
昭和29年の解体修理の際、本殿北東の柱貫の先端から宮大工の落書きが発見されました。これは施工主の寺僧がケチで、改築にあたっていた宮大工に一度も焼酎をご馳走してくれなかったのに腹を立てて書き残したものと思われます。これが、わが国における「焼酎」という文字の初見であるとされています。
永禄2年(1559年)当時、すでにこの地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ、民俗資料としても従来の説を覆す重要な資料となりました。
伊佐市☆忠元公園の2014年の
桜まつり
は、3月30日だそうです
3月30日は、あちらこちらで桜まつりとなりそうですね




















