鹿児島の経済界が中心となり、復元を目指している鶴丸城御楼門の事業費のうち、法人の寄付が、昨年2013年末に、3億円を超えたそうです
復元実行委員会は総事業費7億5000万円のうち4億5000万円を民間からの寄付で賄う予定で、受け付け開始から1カ月で目標の7割近くを確保したことで、計画は実現に向け大きく前進することになりました
法人寄付は、2013年12月2日から始まり、実行委の法人寄付部会が県内外の主要企業を中心に協力を要請したそうで、2013年12月27日までで、事務局への申し込みは45社から3億200万円に上ったそうです
受け皿となる県に振り込まれた分も2億7000万円を超えているそうです
さらに、個人寄付の受付を、1月20日から開始したそうです
明治維新からちょうど150年を迎える、2018年の完成を目指しているそうです
今日は、その鶴丸城の風景を、今まで数回、ブログ記事にてアップしたフォト&動画と解説にて、再アップしようと思います
桜の花の頃、そして若葉の頃、とても美しく、それぞれの季節、ゆったりと散策するにはとてもいいところです
図書館、美術館、西郷隆盛銅像、近くには、鹿児島県文化センターの宝山ホールもあり、近代文学館やメルヘン館などもあり、一日中、楽しめます
鶴丸城(鹿児島城)は、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いで島津氏は西軍側に属して敗北し、責を負って引退し、大隅富隈城に隠退した島津義久に代わり、島津家18代当主となった島津家久が築いた平城です。
背後の城山には詰めの城、上之山城を持つ天然の要塞で、その地形から鶴丸城と呼ばれるようになりました。
「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」と言う島津家の精神に基づいて築城した天守閣のない質素な屋形造りとなっています。
2013年4月の記事を再アップ
市立美術館~鹿児島県立図書館~黎明館は、鶴丸城跡に建てられています
歴史を感じる佇まいです
鹿児島市立美術館
薩摩辞書の碑(鹿児島県立図書館入り口にあります)「薩摩辞書とは、薩摩版英和辞書のことです。
慶応元年(1865年)薩摩藩士 高橋新吉と前田献吉と前田正名の3人が藩庁から資金を借り、明治2年(1869年)に中国の上海で開成所版の英和辞書を翻刻したものです。
当時2000部出版されたそうです。
英語熱の高まる当時、薩摩辞書として非常に珍重されました。
高橋新吉(後の勧業銀行総裁)らは出版の益金で米国遊学をしたそうです。
この碑は彼らの業績を称え、昭和56年3月に鹿児島市によって建立されました。」 との事です
鹿児島県立図書館
楠や桜など、様々な樹木が植えられています
黎明館
篤姫像
「七高久遠の像」および寮歌「『北辰斜に』の碑」
八重桜の花々が綺麗に咲いていました
鶴丸城跡の石垣と堀と石垣にしっかりと根付いた、アコウの大木と、石垣から見える楠等の木々、彩り豊かな花壇など
桜の頃の鶴丸城近辺
県立図書館
鹿児島県歴史資料センター黎明館
満開の桜をバックに 中村晋也氏作の篤姫像
城壁に残る、弾痕や銃痕
1901年以降、城址は第七高等学校造士館の校地として使用され、戦後、鹿児島県立大学医学部、国立鹿児島大学医学部基礎教室、現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(97番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。~ウィキペディアより(解説にリンクしています
)
鶴丸城にあった、御楼門など
鶴丸城御楼門の写真は、下記から引用しました
鶴丸城 御楼門

復元実行委員会は総事業費7億5000万円のうち4億5000万円を民間からの寄付で賄う予定で、受け付け開始から1カ月で目標の7割近くを確保したことで、計画は実現に向け大きく前進することになりました

法人寄付は、2013年12月2日から始まり、実行委の法人寄付部会が県内外の主要企業を中心に協力を要請したそうで、2013年12月27日までで、事務局への申し込みは45社から3億200万円に上ったそうです

受け皿となる県に振り込まれた分も2億7000万円を超えているそうです

さらに、個人寄付の受付を、1月20日から開始したそうです

明治維新からちょうど150年を迎える、2018年の完成を目指しているそうです

今日は、その鶴丸城の風景を、今まで数回、ブログ記事にてアップしたフォト&動画と解説にて、再アップしようと思います

桜の花の頃、そして若葉の頃、とても美しく、それぞれの季節、ゆったりと散策するにはとてもいいところです

図書館、美術館、西郷隆盛銅像、近くには、鹿児島県文化センターの宝山ホールもあり、近代文学館やメルヘン館などもあり、一日中、楽しめます

鶴丸城(鹿児島城)は、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いで島津氏は西軍側に属して敗北し、責を負って引退し、大隅富隈城に隠退した島津義久に代わり、島津家18代当主となった島津家久が築いた平城です。
背後の城山には詰めの城、上之山城を持つ天然の要塞で、その地形から鶴丸城と呼ばれるようになりました。
「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」と言う島津家の精神に基づいて築城した天守閣のない質素な屋形造りとなっています。
2013年4月の記事を再アップ

市立美術館~鹿児島県立図書館~黎明館は、鶴丸城跡に建てられています

歴史を感じる佇まいです

鹿児島市立美術館
薩摩辞書の碑(鹿児島県立図書館入り口にあります)「薩摩辞書とは、薩摩版英和辞書のことです。
慶応元年(1865年)薩摩藩士 高橋新吉と前田献吉と前田正名の3人が藩庁から資金を借り、明治2年(1869年)に中国の上海で開成所版の英和辞書を翻刻したものです。
当時2000部出版されたそうです。
英語熱の高まる当時、薩摩辞書として非常に珍重されました。
高橋新吉(後の勧業銀行総裁)らは出版の益金で米国遊学をしたそうです。
この碑は彼らの業績を称え、昭和56年3月に鹿児島市によって建立されました。」 との事です

鹿児島県立図書館
楠や桜など、様々な樹木が植えられています

黎明館
篤姫像
「七高久遠の像」および寮歌「『北辰斜に』の碑」
八重桜の花々が綺麗に咲いていました

鶴丸城跡の石垣と堀と石垣にしっかりと根付いた、アコウの大木と、石垣から見える楠等の木々、彩り豊かな花壇など
桜の頃の鶴丸城近辺

県立図書館
鹿児島県歴史資料センター黎明館
満開の桜をバックに 中村晋也氏作の篤姫像
城壁に残る、弾痕や銃痕
1901年以降、城址は第七高等学校造士館の校地として使用され、戦後、鹿児島県立大学医学部、国立鹿児島大学医学部基礎教室、現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(97番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。~ウィキペディアより(解説にリンクしています
)鶴丸城にあった、御楼門など
鶴丸城御楼門の写真は、下記から引用しました

鶴丸城 御楼門



































