寒さが厳しくなってきましたね~ビックリマーク

全国的にも降雪、積雪のところが多くなってきましたね。。。
どうぞお出かけには、足元ご注意くださいねビックリマーク
風邪も流行ってくる季節ですので、体調にもお気をつけてくださいねビックリマーク

さて、今年、2013年は、奄美群島本土復帰60周年の年で、式典やいろいろな行事、イベント、コンサートなど、こちら鹿児島県中心に開催されています音譜

奄美群島本土復帰について、ウィキペディアですが、解説がありましたので、引用しておきますので、詳しくは、リンクしていますので、ご覧ください音譜


第二次世界大戦中、連合国軍上陸の危険が高まった1944年(昭和19年)7月以降、沖縄と並んで子供や女性、高齢者の本土疎開が進められた。同年9月には疎開船「武洲丸」が潜水艦に撃沈され、約160人の徳之島島民が犠牲となっている。このほか、近海では軍隊輸送船「富山丸」など多くの日本船舶が撃沈された。1945年(昭和20年)3月末からの沖縄戦の間、北隣の奄美群島には陸海軍合わせて2万人以上が守備に就いていた。特に奄美大島南部の瀬戸内町付近は要塞化(奄美大島要塞)が進められており、特攻兵器である震洋の基地も数箇所に置かれていた。しかし、奄美群島への連合国軍上陸は無く、全体として小規模な空襲だけに終わった。
現代[編集]

アメリカ占領時代[編集]
1945年(昭和20年)9月2日、米軍によって本土から分割され米国民政府の統治下に置かれた。同年9月22日に行われた現地守備隊と米第10軍とで交わされた降伏調印式の際、日本軍守備隊は米軍側が用意した降伏文書に奄美群島が「Northern Ryukyu(北部琉球)」と書かれていることを発見、日本から分割する意図を悟り、鹿児島県所属であることを訴えて調印しなかった。これには米第10軍司令官が譲歩し、鹿児島県奄美群島であることを確認した後に降伏した。
1946年(昭和21年)2月2日、正式に日本からの行政分離が連合軍総司令部から発表され、米国民政府の命令により本土出身者が公職から追放、本土に強制送還となった。空席となった役職には地元出身者が就任し、10月3日に臨時北部南西諸島政庁が成立した。1950年(昭和25年)11月25日に奄美群島政府に改称。しかし民選で選出された知事は日本復帰を公約に掲げた人物であったため(他の民政府も同様)、不快を感じた米国民政府は権限の縮小を決意し、1952年(昭和27年)4月1日には首班が米国民政府任命である琉球中央政府及び奄美地方庁を設立して民政府の権限を縮小、後に廃止した。
それらの米国民政府の政治的動きや、沖縄戦で疲弊した沖縄本島への資金集中、本土との分離により換金作物や物産の販売経路の途絶などにより経済が疲弊し飢餓の兆候さえ出てきていた奄美群島の住民は不満を増大させた。分離直後から始まっていた奄美群島祖国復帰運動は激しさを増し、日本復帰を願う署名が1951年(昭和26年)2月19日より始まり、署名は最終的に14歳以上の住民の99.8%に達し、マハトマ・ガンディーの非暴力運動にならい集落単位または自治体単位でハンガーストライキを行い、小中学生が血判状を提出する事態も発生した。復帰運動の指導者に奄美大島日本復帰協議会議長の泉芳朗や、ロシア文学者の昇曙夢などがいる。
日本国との平和条約の1952年(昭和27年)4月28日発効によって日本の主権が回復することが決まると、アメリカは基地が少なく復帰運動の激しい奄美群島の統治を諦め、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島が[2]、残りの奄美群島も1953年(昭和28年)8月8日のダレス声明による権利放棄を受け、12月25日に返還された。クリスマスであったことから、米国政府は「日本へのプレゼント」と皮肉った。
米軍占領・軍政時代を「アメリカ世(あめりかゆ)」とも呼ぶ。~ウィキペディアより(リンクしておきます)


私事ですが、奄美群島本土復帰40周年前後頃、奄美大島の名瀬市(現在は、奄美市)に在住しておりました音譜

そして、本土復帰40周年に向けて、いろいろな行事、式典、イベントなどがあり、名瀬市在住の折は、ある企画に参加できたり、式典にも、母譲りの、大島紬の着物を着て、参加する事ができたり、マスゲームなどの大きな会場でのイベントにも参加できました音譜

奄美在住のころは、奄美民話の会に入ったり、人形劇や読み聞かせをしてみたり、ちぢんの太鼓や三線の伴奏賑やかに島唄や踊りに加わったり、四季にあるいろいろな祭りを楽しんだり、出会った方々との関わり、交わりの濃い日々を過ごす事ができました音譜

もちろん美しい自然、へごや芭蕉などがうっそうと茂る山々の森、独自の動物や植物、澄んだエメラルドブルーの美しい海と広々と続く砂浜、、、、海に沈む美しい夕陽を観たあとも、ずっと海岸で遊んでいました。。。。水平線を感じられる広い海と、大きな空、、、雄大な自然の中に身を置く事ができました。。。

今日は、関わりのあった中から、奄美群島本土復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく...』について、ご紹介しますね音譜

この写真集は、奥深く、貴重な、とても素晴らしい写真集です音譜

奄美群島本土復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく...』
第一部 島々の歳月~奄美群島日本復帰運動史 人々の暮らし 産業とともに 近景•風景•遠景 文化の発信基地として の5パート
第二部 今を生きる 撮影 浜田太氏 ~の中から、数ページ引用させていただきます音譜





~移りすぎたいとしい歳月も 歩き続ける今も 時はかけがえのない一瞬の連続。 奄美の暑い一瞬をとらえたそのまたたきは 今も、そしてこれからも 満天の星のごとく 人々の心の中できらめきつづけるだろう。