こちら鹿児島は、蒸し暑い日差しの強い、夏に逆戻りしたようなお天気です

街角に咲くコスモスをみつけ、満開のコスモスを愛でた日々を思い出しました
2012年&2011年の10月半ば頃のコスモスの花々です
また、でかけてみたいです
鹿児島市犬迫の八房神社と、下福元町の慈眼寺公園の一面のコスモス、再アップですが、2011年&2012年のフォト&動画でどうぞお楽しみくださいね
2012年10月19日
鹿児島市下福元町 慈眼寺公園
歴史的な事について、下記に、ウィキペディアからですが。。。
慈眼寺(じげんじ)はかつて鹿児島県鹿児島市下福元町に存在した曹洞宗の寺。現在は市営の「慈眼寺公園」となり、桜や紅葉の名所として市民に親しまれている。
『三国名勝図会』等によると百済の僧侶・日羅によって飛鳥時代の頃に建立されたと言われるが、その後の経緯は明らかではなく、存在が確実になるのは応永年間に島津久豊によって再興されたときからである。天文11年(1542年)には島津貴久によって福昌寺18世・代賢和尚を新たに開祖として迎えて伽藍が建立され、曹洞宗寺院へと転じた。その後、18代当主島津家久の菩提寺となって「慈眼寺」と改名する。
実質的な薩摩藩祖の菩提寺と言うことで大変に栄え、一乗院、宝満寺と共に「薩摩三名刹」と言われた。
しかし、明治期の廃仏毀釈の為に完全に破壊された。現在では跡地は公園となり、入り口に残る仁王像や公園に点在する石仏ぐらいしか跡を偲ぶ物は残っていない。
昭和49年(1974年)、名勝・慈眼寺跡として、市の文化財に指定。~ウィキペディアより
大きな地図で見る
2012年10月8日
鹿児島市犬迫 八房神社
八房神社は、1530年、比志島祐義によって建立された神社で、御祭神は、八幡太郎義家、瓊々杵命、木花開耶姫命、彦火々出見命、玉依姫命、鵜鴎草葺不合命、神武天皇だそうで、別名、健康神社とよばれているそうです
神社の境内には、大きな、『地球一大虎像』がありました
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八房神社のお向かいには、石蔵の、産直のお店があります
地元産の、お米、野菜、果物、加工品、色々な商品が並んでいました
梨や薩摩芋、みかん、トマトなど買い求めました
里芋の茎や、山太郎カニも売っていました
2011年10月9日
鹿児島市犬迫町にある、八房神社とそこに咲き誇る、満開のコスモス、そして、その周りに広がる、稲刈りの田園風景をお楽しみ下さいね


街角に咲くコスモスをみつけ、満開のコスモスを愛でた日々を思い出しました

2012年&2011年の10月半ば頃のコスモスの花々です

また、でかけてみたいです

鹿児島市犬迫の八房神社と、下福元町の慈眼寺公園の一面のコスモス、再アップですが、2011年&2012年のフォト&動画でどうぞお楽しみくださいね

2012年10月19日
鹿児島市下福元町 慈眼寺公園
歴史的な事について、下記に、ウィキペディアからですが。。。

慈眼寺(じげんじ)はかつて鹿児島県鹿児島市下福元町に存在した曹洞宗の寺。現在は市営の「慈眼寺公園」となり、桜や紅葉の名所として市民に親しまれている。
『三国名勝図会』等によると百済の僧侶・日羅によって飛鳥時代の頃に建立されたと言われるが、その後の経緯は明らかではなく、存在が確実になるのは応永年間に島津久豊によって再興されたときからである。天文11年(1542年)には島津貴久によって福昌寺18世・代賢和尚を新たに開祖として迎えて伽藍が建立され、曹洞宗寺院へと転じた。その後、18代当主島津家久の菩提寺となって「慈眼寺」と改名する。
実質的な薩摩藩祖の菩提寺と言うことで大変に栄え、一乗院、宝満寺と共に「薩摩三名刹」と言われた。
しかし、明治期の廃仏毀釈の為に完全に破壊された。現在では跡地は公園となり、入り口に残る仁王像や公園に点在する石仏ぐらいしか跡を偲ぶ物は残っていない。
昭和49年(1974年)、名勝・慈眼寺跡として、市の文化財に指定。~ウィキペディアより
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2012年10月8日
鹿児島市犬迫 八房神社
八房神社は、1530年、比志島祐義によって建立された神社で、御祭神は、八幡太郎義家、瓊々杵命、木花開耶姫命、彦火々出見命、玉依姫命、鵜鴎草葺不合命、神武天皇だそうで、別名、健康神社とよばれているそうです

神社の境内には、大きな、『地球一大虎像』がありました

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八房神社のお向かいには、石蔵の、産直のお店があります

地元産の、お米、野菜、果物、加工品、色々な商品が並んでいました

梨や薩摩芋、みかん、トマトなど買い求めました

里芋の茎や、山太郎カニも売っていました

2011年10月9日
鹿児島市犬迫町にある、八房神社とそこに咲き誇る、満開のコスモス、そして、その周りに広がる、稲刈りの田園風景をお楽しみ下さいね




















