こちら鹿児島は、雨も上がって、青空が広がっていますが、少し肌寒くなっています晴れビックリマーク

寒暖の差があったり、気候も不安定ですので、皆様、体調にお気をつけてお過ごしくださいね音譜

毎年、霧島で行われている、『龍馬ハネムーンウォーク』が、今年も、3月16日(土)&17日(日)にあるそうです音譜
当日参加もできるそうです音譜

『第17回 龍馬ハネムーンウォーク in 霧島』に、リンクしておきますね音譜

昨年もアップした記事ですが、坂本龍馬ご夫妻の実際の日程と興味深い記事&みけにゃんママが以前でかけた霧島の風景や、鹿児島市の小松帯刀や西郷隆盛にちなんだ場所のフォトなどの記事を再びアップしますので、よろしければどうぞご覧くださいね音譜


坂本龍馬ご夫妻新婚旅行日程~旧暦と新暦が並べて表示されていますビックリマーク

ツツジが満開の頃だった、旧暦3月、今の暦でいうと、4月半ば~5月頃の新婚旅行だったのですね~音譜

1866 1月21日 3月7日 薩長同盟成立。会談は龍馬到着が遅く、龍馬不在のまま京都薩摩藩邸で開かれた。
1月23日 3月9日 24日未明午前2時頃、京都伏見寺寺田屋で三吉慎蔵と共に幕士に襲われ手傷を負うもののピストルで応戦して危機を脱する。大山彦八(大山巌の父)に救出され薩摩藩邸に囲われる。西郷は兵一個小隊と医師を派遣。
2月5日 3月21日 薩長連合の確認を求める桂の書簡に裏書きをする。
2月12日 3月28日 中岡伸太郎入京。龍馬32歳、この頃中岡の仲人でお龍との結婚を正式に披露。
この頃西郷・小松に霧島に傷によく効くという評判の塩浸温泉湯治を勧められる。
2月29日 4月14日 お龍を連れ、鹿児島に向け京都を出立。
3月1日 4月15日 大阪間の薩摩蔵屋敷に着く。船支度を待つ。
3月4日 4月18日 薩船「三邦丸」に乗船。小松、西郷、桂久武、吉井幸輔等と鹿児島に向かう。中岡慎太郎、三吉慎三も同道。縁結びのこの旅が日本人の新婚旅行第1号となる。
3月6日 4月20日 下関で中岡・三吉下船。
3月8日 4月23日 長崎に寄る。
3月10日 4月24日 鹿児島着。西郷邸、吉井邸に泊まる。
3月16日 4月30日 吉井幸輔が誘い、龍馬夫妻塩浸温泉へ出発。
穏やかな錦江湾に雄大に浮かぶ桜島を眺めながら船で浜之市港へ。日当山温泉へ泊まる。
小松帯刀夫妻は3月14日より4月8日まで、25日間霧島栄之尾温泉で湯治中。
3月17日 5月1日 この日より塩浸温泉で11泊し手傷の治療をする。この間、月日は特定できないが、和気清麻呂公史蹟に立ち寄る。史蹟といっても斉彬公お手植の松があっただけ。しかし犬飼滝と渓谷を見下ろし、右手に桜島、左手に高千穂峰を望めるこの場所は絶景であった。蔭見滝や塩浸温泉はこの世の外かと思われ候ほどめずらしき所なり。谷川の流れにて魚を釣り、短筒で鳥を撃つ。誠におもしろかりし。塩浸の谷は、岩つつじが満開の頃であり、近くの安楽や妙見の温泉、和気湯など温泉巡りもしただろうし、二人は遠い京のことなど忘れ、一生で一番楽しい幸せな日々であっただろう。
3月28日 5月12日 龍馬夫妻、吉井幸輔の案内で、栄之尾温泉の小松帯刀のお見舞いに行く。牧歌的な萱葺きの家が続く中津川路。
3月29日 5月13日 龍馬夫婦念願の高千穂登山。途中高千穂峰を矢立でスケッチする。馬の背越えではあぶなくてお龍の手を引く。天の逆鉾に笑い、おびただしい霧島ツツジに感動。霧島神宮を参拝し御神木の樹齢千年近い大杉を見る。華林寺泊。
3月30日 5月14日 再び硫黄谷温泉泊。吉井幸輔が待っており、同行して4月1日塩浸温泉へ帰り7泊する。
4月8日 5月22日 日当山温泉に帰り3泊する。
4月11日 5月25日 浜之市に帰り船待ちで1泊するも、宿は不明。
4月12日 5月26日 浜之市より乗船。鹿児島へ帰る。小松帯刀原良別邸へ約50日間滞在するも毎日どこで何をしていたかは、不明。
4月14日 5月28日 開成所に行く。5月1日桜島丸来る。
5月19日 6月15日 寺内氏より四両三歩の金を借用し、短刀合口をこしらえる。
6月4日 7月13日 龍馬夫妻は桜島丸にて天保山より出港、帰途につく。
~霧島市総合観光案内より引用しましたので、リンクしておきます音譜
とても興味深い記事が多いですので、どうぞ詳しくはご覧くださいね音譜


☆小松帯刀邸跡 石垣など☆
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鹿児島市に,1865年と1866年に坂本龍馬が薩摩を訪れた際に滞在した「小松帯刀邸跡」があります。
今は、個人のお宅ですので、外からながめる事だけ、できますビックリマーク
小松帯刀は若くして薩摩藩家老となり,改革を唱える下級武士の意見にもよく耳を傾け,西郷隆盛や大久保利通といった薩摩の志士の活躍を藩の家老という立場で支えた人物で,大河ドラマ「篤姫」にも登場しました。坂本龍馬との親交も深く,寺田屋事件の後,西郷隆盛らとともに龍馬をかくまい,そのまま薩摩に渡る手はずを整え,自分の別邸に泊めたほか,亀山社中の創設を支援するなどしました。龍馬は,新政府の人事が話題となった際に,小松帯刀を推薦したと言われており,将来を期待される人材でしたが,病気のため30代半ばの若さでなくなりました。


ここ小松帯刀邸跡は、寺田屋事件の後に、坂本龍馬を滞在させていた場所なのだそうです音譜ニコニコ

坂本龍馬も小松帯刀も三十歳代の若さで亡くなってしまいましたが、長生きされていたら、スケールのある視野の広い事、いろいろとされたでしょうね~


霧島での日々について、お姉さんへの手紙に生き生きと書き綴っています音譜

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坂本龍馬の手紙とその時の場所と関連させた、現代語訳も載っている、とてもわかりやすいページをみつけましたので、リンクさせておきますね音譜音譜

ビックリマーク手紙でめぐる龍馬とニッポンビックリマーク

その中での天の逆鉾を抜くまでの説明の現代語訳

やれやれと腰を叩いて、はるばる登ったら
しょうまっことおかしな顔つきで

このような思いもよらん天狗の顔があり、大いに二人で笑いました。この場所に来たればまっこと高い山やったので見晴らせるだけは見渡し、面白かったけんどなにぶん四月ではまだ肌寒うて、風が吹くきにそろそろと下りました。なるほど霧島つつじが一面に生えて実(げ)にまっこと作り物(もん)のようにきれいうやったきに。
お動くもんやったまた

その山はこんな形です
この逆鉾はちっくと動かしてみたけんど
△あんまり両方へ鼻が高いき二人が両方より鼻を押えてエイヤと引き抜いた時はわずか四五尺(九〇センチ)ばあのもんやったきまた元の通りに収めました


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丸尾の滝音譜
「上流の林田温泉や硫黄谷温泉の温泉水を集めて落ちる珍しい湯の滝です。高さ23m、幅16mと豪壮にして華やかな滝で、夜にはライトアップされます。秋には紅葉が映え、冬には湯けむりが立ちのぼります。」とのことです音譜
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霧島神宮
霧島神宮ホームページ


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2013年1月に訪れた、神話の里公園から見えた高千穂峰
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2012年1月10日に訪れた時
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☆西郷隆盛野屋敷跡☆
「西郷野屋敷跡」は、鹿児島市西別府町の、かこしま文化工芸村の敷地内にあります。


かごしま文化工芸村の解説にリンクしています音譜

大きな地図で見る
西郷南洲野屋敷の跡
野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。)
明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。

鹿児島市のページ
より、引用しましたので、リンクしておきます音譜

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ヤマモモの木音譜
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☆西郷隆盛武屋敷邸跡☆
以前、ご紹介した事があるのですが、鹿児島市武にある西郷隆盛屋敷跡には、西郷さんが使っていた井戸があります音譜

武屋敷は、西郷が朝鮮への使節派遣の考えに反対されて一八七三(明治六)年鹿児島に帰ってから、一八七七(明治十)年西南戦争が起こるまでの四年間を暮らしたところです。屋敷は、約三千六百平方メートル(千百坪)で、建物は縁の高い御殿造りで部屋数も多く、庭にあった大きな松の木が訪れる人の目標になっていました。ここでの西郷のくらしは、まさに晴耕雨読の生活で、吉野や西別府で農耕に励む一方、県内各地で狩猟や湯治を楽しむなど、″武村の吉″としてゆうゆう自適の生活を送っていました。また士族の青少年の教育のため私学校を創設したり、屋敷に沖永良部島で知り合った川口雪篷を同居させ、近くの子弟の教育にあたらせました。

屋敷は西南戦争で焼け、一八八○(明治十三)年、弟の従道が再建しましたが、現在は公園となり、当時の井戸だけが残っています。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)


鹿児島市ホームページより引用

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西郷隆盛と庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見の像

菅実秀とは。。。
 明治元年戊辰戦争が勃発するや軍事掛に任ぜられ、家老松平親懐を助けて庄内藩の指導に当たり、降伏後は戦後処理に敏腕を振るう。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたため、以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。明治2年中老に任ぜられ、明治3年大泉藩(改称)の権大参事となった。明治4年、西郷隆盛と初めて東京で会う。酒田県が成立すると大参事。ワッパ騒動により引責辞任。西南戦争後、「南洲翁遺訓」を刊行。

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