9月24日は、西郷隆盛の命日だそうで、今から134年前の1877年(明治10年)、49歳で、鹿児島市の城山にて亡くなったそうです。歴史の授業や歴史小説、大河ドラマなどで、皆さん、西郷隆盛など明治維新前後のお話はいろいろと知ってらっしゃる事と思います
大河ドラマの『篤姫』や『龍馬伝』をご覧になった方々も多いと思います。他にも映画やTVでも、今までにも色々とありますね
鹿児島では、西郷隆盛の命日前日の秋分の日に、「せごどんのえんこ」(西郷さんの遠行)という、西郷さんゆかりの地をあちらこちら歩いて訪ねる行事があります

鹿児島県のホームページに解説がありましたので、『西郷どんの遠行』のほうも、下記にリンクさせておきますね
西郷どんの遠行
『西郷どんの遠行』のルートを地図で解説
所属する合唱団でも南九州のわらべ歌の中で歌った事がありますが、こんな手まりの鞠つき歌があります

一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋かけて
橋の欄干腰掛けて はるか向こうを見渡せば 十七八のお姉さん
片手に線香 花を持ち 姉さん あなたはどこですか
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です 明治十年戦争に
討たれて死んだ父上の お墓を尋ねて参ります
お墓の前で手を合わせ南無阿弥陀仏と拝みます
杉山知子氏・井戸和秀氏のわらべ歌の調査から引用
You Tubeの中にみつけましたので、下記に歌を聴きたい方は、どうぞ

歌詞は、少しずつ地域によって違っていますが,一例をあげておきます。
『西郷どんの遠行』(せごどんのえんこ)について、お話しましたが、少し、歴史ネタですが、今日は、西郷星、桐野星について、お話します
西南戦争の頃、ちょうど、火星の大接近の時期でした
そして、ちょうど西南戦争で、西郷隆盛が亡くなった後、夜空には、とても明るく光る赤い星が、光っていたそうです
つまり、大接近した火星だったのです。
そのとても明るく赤く光る星を見て、庶民の間に、あれは、西郷さんが星になって光っているのだという噂が広がっていきました
そして、それを描いた錦絵が、何種類も売り出されて、人気があったそうです
そして、さらに、近くに、土星も明るく輝いていたので、やはり同時期に亡くなった、桐野利秋に因んで、桐野星と呼ばれたそうです
ネットで色々と調べたら、とてもわかりやすく解説をしてあるページをみつけたので、下記にリンクさせておきますね
西郷星
西郷隆盛 野屋敷跡
野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。)
明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。
9月24日、イト夫人と家族はこの農事小屋から、城山から煙が立ち上るのを目にして城山陥落を知ったと伝えられています。
西郷隆盛 野屋敷跡にある、大きなヤマモモの木
武町にある、西郷隆盛 屋敷跡の公園と、そこにある、西郷隆盛が使っていた井戸
西郷隆盛銅像
西郷隆盛の銅像は、上野にある、愛犬の「ツン」を連れての、狩りに出かける時の、ラフなスタイルの銅像が有名で、高村光雲作だそうです。鹿児島にある銅像は、鹿児島出身の、忠犬ハチ公の像の作者としても有名な、安藤照作で、陸軍大将の軍装です
それぞれに、経緯があり、写真がないので、似ているとか似ていないとかのお話も色々とあるようで、また、上野の西郷隆盛像のラフな姿に、妻のイトさんが、人前に出る時は、きちんとした服装で応対したと、ちょっと不満げだったとか、色々な方々の色々な思いがあるようです。
詳しくは、一応、ウィキペディアですが、リンクさせておきますので、興味があられましたら、どうぞクリックして、御覧下さい
西郷隆盛銅像
ゆるキャラの西郷さんと飼い犬、つんちゃんですが、つんちゃん、チアダンス、じょうずですね~

下記に、リンクさせておきますね
薩摩剣士 隼人 登場人物

大河ドラマの『篤姫』や『龍馬伝』をご覧になった方々も多いと思います。他にも映画やTVでも、今までにも色々とありますね

鹿児島では、西郷隆盛の命日前日の秋分の日に、「せごどんのえんこ」(西郷さんの遠行)という、西郷さんゆかりの地をあちらこちら歩いて訪ねる行事があります


鹿児島県のホームページに解説がありましたので、『西郷どんの遠行』のほうも、下記にリンクさせておきますね

西郷どんの遠行
『西郷どんの遠行』のルートを地図で解説

所属する合唱団でも南九州のわらべ歌の中で歌った事がありますが、こんな手まりの鞠つき歌があります


一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋かけて
橋の欄干腰掛けて はるか向こうを見渡せば 十七八のお姉さん
片手に線香 花を持ち 姉さん あなたはどこですか
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です 明治十年戦争に
討たれて死んだ父上の お墓を尋ねて参ります
お墓の前で手を合わせ南無阿弥陀仏と拝みます
杉山知子氏・井戸和秀氏のわらべ歌の調査から引用
You Tubeの中にみつけましたので、下記に歌を聴きたい方は、どうぞ


歌詞は、少しずつ地域によって違っていますが,一例をあげておきます。
『西郷どんの遠行』(せごどんのえんこ)について、お話しましたが、少し、歴史ネタですが、今日は、西郷星、桐野星について、お話します

西南戦争の頃、ちょうど、火星の大接近の時期でした

そして、ちょうど西南戦争で、西郷隆盛が亡くなった後、夜空には、とても明るく光る赤い星が、光っていたそうです
つまり、大接近した火星だったのです。そのとても明るく赤く光る星を見て、庶民の間に、あれは、西郷さんが星になって光っているのだという噂が広がっていきました

そして、それを描いた錦絵が、何種類も売り出されて、人気があったそうです

そして、さらに、近くに、土星も明るく輝いていたので、やはり同時期に亡くなった、桐野利秋に因んで、桐野星と呼ばれたそうです

ネットで色々と調べたら、とてもわかりやすく解説をしてあるページをみつけたので、下記にリンクさせておきますね

西郷星
西郷隆盛 野屋敷跡

野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。)
明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。
9月24日、イト夫人と家族はこの農事小屋から、城山から煙が立ち上るのを目にして城山陥落を知ったと伝えられています。
西郷隆盛 野屋敷跡にある、大きなヤマモモの木

武町にある、西郷隆盛 屋敷跡の公園と、そこにある、西郷隆盛が使っていた井戸

西郷隆盛銅像

西郷隆盛の銅像は、上野にある、愛犬の「ツン」を連れての、狩りに出かける時の、ラフなスタイルの銅像が有名で、高村光雲作だそうです。鹿児島にある銅像は、鹿児島出身の、忠犬ハチ公の像の作者としても有名な、安藤照作で、陸軍大将の軍装です

それぞれに、経緯があり、写真がないので、似ているとか似ていないとかのお話も色々とあるようで、また、上野の西郷隆盛像のラフな姿に、妻のイトさんが、人前に出る時は、きちんとした服装で応対したと、ちょっと不満げだったとか、色々な方々の色々な思いがあるようです。
詳しくは、一応、ウィキペディアですが、リンクさせておきますので、興味があられましたら、どうぞクリックして、御覧下さい

西郷隆盛銅像
ゆるキャラの西郷さんと飼い犬、つんちゃんですが、つんちゃん、チアダンス、じょうずですね~


下記に、リンクさせておきますね

薩摩剣士 隼人 登場人物






