目から鱗が落ちる/DIAMOND MOON"矢沢永吉" | でこのブログ

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☆めからうろこがおちる

※解説
新たな事実や視点に出会い、それまでの認識が大きく変わる状況を表す表現。
魚の鱗が新しく生え変わるように、人の認識や理解も新たな知識によって更新されるという意味合いが込められています。


☆今日は何の日?!

❋世界人口デー
1989年(平成元年)に国連開発計画の運営評議会によって制定。国際デーの一つ。英語表記は「World Population Day」。

1987年(昭和62年)のこの日、世界の人口が50億人を突破した。国連は、この日に当時のユーゴスラビアのザグレブで生まれた男の子を50億人目と認定し、デクエヤル事務総長がかけつけて祝福した。また、1990年(平成2年)12月の国連総会で正式に国際デーとして制定され、国連人口基金(UNFPA)が各国政府や市民社会と協力して、この日が祝われる。この国際デーは、世界の人口問題について関心を深めてもらうことを目的としている。

国連によると20世紀に入った頃の世界の人口は約16億5000万人であったため、わずか90年弱で人口が3倍に増えたことになる。また、アメリカ商務省統計局の調査によると、1999年(平成11年)7月19日に60億人を突破した。そして、2100年には約91億人となる予想がある。

一方、日本は2010年(平成22年)に1億2806万人となっているが、既に人口の減少が始まっており、2100年には9000万人を下回るとの予想が立てられている。更に200年後の2300年には、世界の人口は約90億人で、日本の人口は1億人の大台を回復するとされている。

なお、国連人口基金(United Nations Population Fund)は、国連内での人口分野における中心的役割を果たす機関である。1967年(昭和42年)に国連事務局によって設置された国連人口活動基金(United Nations Fund for Population Activities:UNFPA)が発展し、1987年(昭和62年)の国連総会で現在の名称に変更された。現在も国連人口基金の英語略称は「UNFPA」のままになっている。


❋真珠記念日
1893年(明治26年)のこの日、三重県鳥羽町の御木本幸吉みきもと こうきち夫妻が、初めて真珠の養殖に成功した。

御木本幸吉は株式会社ミキモトの創業者で、彼はふるさとである三重県英虞あご湾の真珠が乱獲のため採れなくなったことを嘆き、動物学者の箕作佳吉みつくり かきちらの協力を得て、夫婦でここの無人島で養殖場を始めた。そして、養殖を始めてから3年目の1893年(明治26年)に、半円形ながら5粒の養殖真珠が収穫でき、1906年(明治39年)に円形の真珠が完成した。赤潮によるアコヤ貝の全滅という苦難を乗り越えての成功であった。


❋セブンイレブンの日
東京都千代田区二番町に本社を置き、日本全国にコンビニエンスストア「セブン-イレブン」を展開する株式会社セブン-イレブン・ジャパンが制定。

日付は社名の「セブン-イレブン」に由来する。

「セブン-イレブン」という抜群の認知度と、社名がそのまま日付に置き換えられる明解さで、毎年7月11日に大きな話題となることから、記念日の登録を行うことで更なる情報発信をするのが目的。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

この日には全国のセブン-イレブン店のオーナー・従業員・本部社員が店舗周辺の清掃を行っている。また、11月7日にも同様に清掃活動を行っている。

《セブン-イレブンについて》
セブン-イレブンの発祥は1927年(昭和2年)、アメリカ合衆国のテキサス州オーク・クリフで、セブン-イレブンの前身であるサウスランド・アイス社による氷の小売店から始まった。

その後、サービス向上のためパンや牛乳なども置くようになった。1946年(昭和21年)、朝7:00から夜11:00まで営業していたことに由来して現在の「セブン-イレブン」の名称となった。

日本では1973年(昭和48年)11月、イトーヨーカ堂がアメリカ合衆国でセブン-イレブンを運営するサウスランド・カンパニーとのライセンス契約を結び、株式会社ヨークセブン(現:株式会社セブン-イレブン・ジャパン)が設立された。

そして、翌1974年(昭和49年)5月、東京都江東区豊洲にセブン-イレブン第1号店となる「豊洲店」が出店した。それは酒屋「山本茂商店」の店主が初のフランチャイズに応募した為である。



❋ラーメンの日
2007年(平成19年)に設立され、東京都中央区日本橋本町に事務局を置く一般社団法人・日本ラーメン協会(Nippon Ramen Association)が制定。

日付は「7」を「レンゲ」に、「11」を「箸」に見立てたことと、ラーメンを最初に食べた人物とされる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門、1628~1701年)の誕生日から。ラーメン産業の振興・発展とともに、日本独自のラーメン文化を支えることが目的。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

《徳川光圀とラーメンについて》
徳川光圀は、学者肌で非常に好奇心が強いことで知られている。中国の明から亡命してきた儒学者・朱舜水に学んでおり、外国の文化も積極的に取り入れていた。その中に中華麺も含まれていたされることから、光圀は日本で最初にラーメンを食べた人物といわれている。

茨城県水戸市で販売されているご当地ラーメンの一つに「水戸藩らーめん」があるが、これは光圀が食べたとされる最初のラーメンを再現した料理である。麺にレンコン粉を練りこむのと、「五辛」(ニラ、ラッキョウ、ネギ、ニンニク、ショウガ)という薬味を添えるのが特徴である。

水戸藩らーめんを含むラーメンでは、スープの出汁や具に鶏や豚などの肉類が使われるが、光圀は肉食が忌避されていた当時に、5代将軍・徳川綱吉が制定した「生類憐れみの令」も無視して肉類を食べていたと伝えられている。


以上、雑学ネタ帳より

長い🤦 😅 🙇
長いですよね?😓 

これから書くんですもん😅

ここまでが長い😓

申し訳ない💦🙇


えーと「もっこす」はあれ以来行ってないです😅
最近、外食はあまりしないということはありますが、行くのだったら「垂水園」でしょか😅
あそこがいい👍



今日の「真珠の日」

小さい頃、西の方への旅行として、兵庫、京都、奈良、滋賀、それとこの三重に行ったことは覚えているんですね。
以前あった大阪万博は、🙋はまだ小さかった=危ないとのことで父親と兄の二人で行き、僕は行きませんでした。

三重では、スタッフから説明を受けて親が真珠を購入してたことを覚えてます。

貝の中に核?を入れたものを目の前で見ていたのですが、再度訪問し購入したという経緯だったと思います。
MIKIMOTOが関係していたかどうかは知りません。

たまたまこの前、いいねを押してくれた方のブログにお邪魔したら「有馬兵衛の向陽閣へ〜」のことが載っていまして😅

これ、関東?東京方面でもCMでやっていたのですが、その名前を見て「ここに泊まりました」だったか思わずコメしてしまい😅
名前だけは覚えていて、それ以外は何も覚えてませんが😓 😅 

それと

「琵琶湖温泉ホテル紅葉」

これも向こうでもCMで流れていて、ここに宿泊したのですが、やはり名前だけであとは何も覚えてない🤦

琵琶湖の風景を、少し覚えてるくらいですが、子供の頃の思い出ってそんなものですよね?

しかしこうして書いてると、何かにつけて、小さい頃の思い出が浮かんで来るのは何故🤷?と思ったんですね。

頭がおかしいのかと😅
それは認めてもいいのですが…
どーでもいーので。
どー思われよーが、そんなの関係ない😅

とにかく、他に正当な理由でもあるのかと、調べてみました🤫


そうしたところ幼少期の思い出が強く思い出される理由は、やはりいくつかの要因が関係していました👍

「箇条」書きで「過剰」な情報を🤭


1.脳の発達
幼少期は脳の発達が急速に進む時期であり、そのため新しい経験や情報が強く記憶に残りやすい。
  
2. 感情的な影響
子ども時代の経験は感情的に強く影響することが多く、強い感情を伴った出来事は記憶に残りやすい。
  
3. 初体験の多さ
幼少期には多くの初めての体験があり、初めての体験は大人になってからの体験に比べて特に印象に残りやすいということ。
  
4. ノスタルジア
大人になると、無邪気で無防備だった子ども時代を懐かしく感じることがあり、自然とその時期の思い出が思い出されやすくなる、と。

5. 再現と話題
家族や友人との会話で幼少期の話題が出ることが多いため、その時の記憶が繰り返し呼び起こされ、より鮮明に保たれることがある。

こういった理由から、幼少期の思い出が特に鮮明に思い出されるそうなんですよね。


なんかね、ブログを書いていて昔の話が多いわと思ってたんです、自分自身。
どー思われてもいーのですが
少しホッとしました😅

なんで?🤷 😅

で、ですね、音楽の続きを「書こう」と「加工」してたのですが、どうにも話が「下降」線を辿りそうな気配がしたので、そこらへんは「かっこ」して後で「書こう」かと。
その方が「かっこ」いいとも思えたし
「かっこ」悪いより「かっこ」いい方がいいかなと「過去」にそんなこともあったかな?と😅

あ、ちなみに仕事場から鳥の鳴き声もよく聞こえるんですね、あの木々から。
ウグイスの鳴き声が特に!
ただ「かっこう」は居ないみたい🤭

だから、しつこいんだって🙌🤭


目から鱗が落ちました?😅

で、このライン、方向で「書こう」と😅


⚾監督の口癖
あんこチョロなめ 😅

要するに「あめぇーんだよ」みたいな。
あんこの甘さから来るような意味で、そんな言葉を使ってたんですよね。

・使用例🤭
「わかるか?あんこチョロなめだぞ?」

「ビーゲソ」と一緒に使ってください😅

わかってっか?おまえら
ビーゲソ履いて来いってんだよ
あんこチョロなめだぞ?


僕も江戸っ子ですが、監督も生粋の江戸っ子。

年齢、地位、立場に関係なく、歯に衣着せぬ物言いは、時に厳しかったのですが、その言葉ひとつひとつが的を射たものだったので、誰も意見できなかったですね。


監督も兄もキャッチャーだったので、キャッチャーに対してはうるさかったと思うんです。

僕はよく仲間から「よくそんなことまで覚えてるよな」と言われますが、これにはひとつ理由があって。

高1の秋の16ブロックに分けられた中の準決勝の試合だったのですが。

それまでの2試合はコールド勝ちで、3試合目の準決ですね。

先攻で、この試合も7回表終わって7対0、裏を抑えれば7回コールド勝ち。

ひとりランナー出してしまったのですが、その時点でツーアウト。
次のバッターを抑えれば試合終了。

相手は3番バッター。
それまでの打席は全て抑え、その時もツーストライクまで追い込んでいました。


が、ウイニングショットの球をセンターオーバーのHR😫打たれてしまったんです。

結局9回までゲームが続き、7:2で勝ちましたが、その試合後、監督にひとり呼び出され⚡を落とされるという😅

内容はこうです。

👹「お前、あの3番の前の打席のことを覚えてるか?」と。

🙋「いいえ😓」

👹「あの3番の何球目にどんな球をどこに放らせたか、カウントがいくつだったか、ゲーム状況はどうだったか、覚えてるか?」

🙋「いいえ😓」

👹「前もその前もおんなじ攻め方してるんだ!そして3回目も同じ。これじゃ打たれるに決まってんだろ、よく覚えとけ!⚡」

🙋「😲😓😞」


だったんですよね😓


そこまでキャッチャーというのは

頭に入れて配球を考えなくてはならないのか
ゲームを進めていかなければならないのか
全体を見ていかなければいけないのか

それが、野球?

目から鱗が落ちた、ひとつの教えでした。


配球に関しては、それまで何も考えずにピッチャーに球を放らせていたんですね、言えば
「その打席のみの、その場しのぎの配球」


それからですね、野球のゲームの中で色々と考え始め、その試合における前の打席のデータもざっくりですか覚え始めたのは。

そこらへんの思考癖が、その頃に確立して今に至る…なんです。



音楽を聴く時だけは、何も考えてませんね。


言えば

CKB横山剣語録の

「考えるな、感じろ」 

という言葉そのもの…




『DIAMOND MOON』