水清ければ月宿る/タイムマシンにおねがい"サディスティック・ミカ・バンド' | でこのブログ

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「水」前寺「清」子という芸名はここから↑来てる?🤒

水前寺清子って誰?って思った貴方は若い👍

この名前に覚えがある貴方は…





怖くて言えない😅


チーター?


なんのことだか🤷

僕は知りません🤭



☆今日の格言です。

「水清ければ月宿る」


水清ければ…から始まる2つの文章があったので、一緒に載せますね。



☆「水清ければ月宿る」


※意味

清い水には月が映るように、心が清らかな人には、神仏の加護があるということ。


転じて「心おだやかに、心清く汚れなく日々をすごすと幸せを感じられるということ」


☆「水清ければ魚棲まず」


※意味

あまりにも清廉潔白な人物は、かえって人々から疎んじられてしまうということ。


こちらの「魚棲まず」の方は「孔子家語(こうしけご)」という、孔子の言行、逸話を集めた中国の書の一節から生まれたことわざで、原文は↓


「水至りて清ければ即(すなわ)ち魚なく、人至りて察(さつ)なければ則(すなわ)ち徒(と)無し」


後者の「魚棲まず」の方はいくつか解説もあるのですが「月宿る」の方ほとんどありません。


以前も格言ことわざについて記述が少ない、若しくは無いものもあったのですが、そういった類のものは、もしかして信憑性に欠ける?一般的ではない解釈かもしれない🤔


と、今、思いました😅


あしからずご了承ください🙇



2つの文章

水清ければ…までは同じですが、その後に続く文章で、まるで違った意味になるのですよね。



※水清ければ月宿るは、「心のもちよう」について。


※水清ければ魚棲まずは、人との「接し方」や「世渡り」のことで。




⚠「水を得た魚のよう」ということわざを過去に皆さんも使ったことがあったかもしれませんが、読み方を「みずをえた『さかな』のよう」として使っていました?


僕はそうでした😅


正しくは、魚は『うお』のようです。

「さかな」でも間違いとは言えないようですが。


※現在の常用漢字表の「魚」は、音読みの「ギョ」に対し、訓読みが「うお・さかな」と二つ示されていますが、このうち、現在は一般的な読みの「さかな」は、もともと「酒菜(肴)」と書き、「お酒を飲む時につまむもの」として使われていた。


のようです。




「水清ければ…」から「水が澄んだ場所」が思い浮かんだのですが。。


散歩で多井畑厄除八幡宮の方に行くのですが、隣りに奥須磨公園があります。


公園内は平日、人影はまばら、というより「ほとんど人は居ない」😅


そんな中、いつも見掛ける人は池で釣りをするお爺ちゃん達、数人。


何が釣れるのかわかりませんが、池に鯉が泳ぐ姿は見るので、他にフナ?とか。


同じ水でも池の水と違い、澄んだ水が流れている小川のような場所もあるのですが、そこにはホタルの小川という立て看板が設置されていて、ホタルの他トンボも生息しているようですが。


ただこれも「かつての話」になるようで(ホタルについては)数年前までボランティア団体の方がホタルの幼虫を放流するなどしていたらしいのですが、現在は団体が解散し、ほぼホタルの姿を見ることも無いと。



小さい頃に葛飾の水元公園に会社の従業員の人達に連れて行ってもらい、初めてホタルを見ました。


子供にとっては、なんで光る?と興味をそそられる生き物だと思います。


成田の方にいた時には、あそこらへんはまだまだそういった場所も多くあるので、ホタル観賞会に参加して昔を懐かしんだんですよね。


そーだ、葛飾水元公園にはその後も幾度となく遊びに行ったのですが、いつだったか「白蛇」を見たんですよ😧


なんか、縁起良くない?😅


それだけの話ですけど😒😅



そういえば昔、兄が海に遊びに行った時に川でシマヘビを捕まえて持って帰って来まして、僕が中学生の頃。

伯父さん達が、熱帯魚を飼育していたので余った水槽を借りて、その中に入れて飼ってたのですよ😑


世話係はノー天気な→🥳←🤷🤦


ま、ちょっとエグいので後の話は割愛😅



何でも飼ってしまう、あの頃😓


で、思い出したのがやっぱり鮮明に記憶に残っている小さい頃のこと。


昔のことはよく覚えている😅

直近のことはすぐ忘れる😒



静岡熱海温泉に起雲閣という旅館があったんですけど、ここは毎年家族で夏に旅行した時に宿泊した宿。


「熱海駅」に🚄で着いて下車する時に「どこ行くの?」と親に聞いたのは、これを「ねっかい」と読んだから。


アタミなのよね😅


ここにクマゼミがいたのです。

これは前にも書いたかも?なんですが、関東の方ではクマゼミは珍しく当時は見たこともなくて、大人になって夏に神戸に来た時に、クマゼミが鳴いていることには感激しました😅


それだけの話😒😅


朝食前から兄貴とセミ取りに出掛けたのが起雲閣の庭。









ここの木々の中にクマゼミが生息していたんです。


この思い出があり(今は宿泊は出来ませんが)建物、庭は見学できるので数年前女房と次女と旅行に行った「ふふ熱海」という宿に向かう途中でここに寄ったのでした。


いつも決まって離れのような部屋で、それは当時のままでしたが、庭を歩いてみて「こんな狭かった?」と感じ、それは子供の頃の感覚と今の感覚がたぶん違うからなんだろうなと。


そこでガイドの人に聞いてみたところ、庭は当時の半分になり、半分は駐車場のスペースとして今は活用するようになったとのことでした。


屋外プールも無くなっていたのですが、このプールも奥須磨公園と同じで、いつも誰も居ないプール😅いついっても居ない。


思うにそれは、宿泊客が大人それも年配の人間が多かったから子供は居なかったんだろうなと。


市川に居た時に、夏の早朝、中山競馬場の方に女房とワンコを連れて散歩に行くと、競馬場の中の木々にセミが止まって鳴いているのを耳にしたのですが、そこで、この起雲閣での「セミの話」を女房にしたことがあるのです。


ワタシ、女房の言ったことを右の耳から左の耳にスゥーっと流れていくことがあります🤭


その都度「ちょっと、聞いてる?🤬」と😅


で、その話も結局右から左のなのですが😅


それを思い出したかのように女房は言う。


「やっと、わかったわ、あなたが私の言った話を忘れちゃう訳が。興味のない話は何も頭に残らないもの🤭」


セミの話は何も覚えていない女房👎😒


「何も覚えてない」を理解されたことを喜んでいいものか🤦



嫌な記憶まで蘇ってしまった😞




昨日は朝からあまり良くない連絡が兄からあってですね😧


全て自分のミスなのですが😓


アクセサリー制作。

間違えて作ってしまった🤦


たまーに、やっちゃうんですよね😅


サンプルをよく確認しなかった自分がいけなかったのですが、昔のように忙しい時にこんなことがあると、もぅ会社がひどい状況になる😱😱


なので、会社に泊まって修理するわけですよね。どれくらい時間が掛かるか見当もつかなかったし。


そんな時は仕事とはいえ、女房に連絡するのも申し訳なくて😓


とは言え、泊り掛けでもして直さないと新規の品物の流れに影響してしまうので、ほんーっとキツい仕事になるんですよね。


そういう経験は皆さんも形こそ異なるかも知れませんが、多くの人が経験されたかと。


昨日はそんな矢先、もっと重大な出来事が発生するという…🤦



いずれにしてもうまく対処するしかないのは、これまでと一緒。


「なんとかなるやろ」と、どこかで聞いたようなセリフで😅


やるしかないんですよね。



しかし、今日、グラン・マ🤭と女房と町中華探訪に行く予定なんですよね


行けそうにない🤦🤦🤦



👎👎👎




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