KENさん②/晴れた午後は代官山で"野宮真貴" | でこのブログ

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年末大晦日から元日にかけて、日本に限らず世界中どの国の人達も、これから始まる新しい年の幕開けを喜びそれを祝福し、そんな雰囲気が自然と人を笑顔にしてしまう。


そのような気分を一瞬で失わせてしまうような新年早々の大きな自然災害に航空機事故。



過去には日航ジャンボ航空機の事故。

神戸の震災、東日本での震災。


時が経つにつれ実際の映像も流れ、その災害の様子が明らかにされていく。


ロシア、ウクライナの状況には正直目を背けたくもなるし、今回の災害で被災された方、悲しくも命を落とされた方、その双方の関係者の方々の心情を思うと、途中まで書いていたブログの続きを書く気にもなれない。


関西方面のブロ友さんも神戸の震災で大変な思いをされたことを聞いている。

他にもいらっしゃるのかもしれない。


尚更手がとまる。


といって、自分がどうしたらいいかと考えても答え等出てこない。


思うのは、自分自身が勝手な人間であることと、自分の尺度でしか物を見ることが出来ない人間だということ。  


仮に雲の上から見下ろす立場になっていたなら「気にすんなよ、お前はお前を生きろ」と言うと思う。


自分の気持ちをコントロールすることは難しい。





被災された皆様、ご関係者の皆様
心よりお見舞いを申し上げます。

1日も早く安心で平穏な日が訪れることをお祈りしております。







原宿。


昔の原宿っていう街はな、


等と書くつもりは全く無く、自分の知っている原宿を書いているに過ぎません。

そもそも自分みたいな下町出身のがらっぱちな人間が語っちゃいけない。

ただ、自分に正直で生きたいという気持ちは多いにあるので毎度勝手に書いてはいますが。



原宿は、昔も今も中高生が集まる街。

カワイイ文化の発祥の地でもあるので、その名前もこの街に宿るパワーも世界的に知られている。


以前あったボスの店の周り、キャットストリート近くには町中華の店におしぼり専用工場、昭和の喫茶店等もあり、中華屋さんの店主からしてボスとは顔馴染みで、自分が店にいた時にもジーパンにシャツ等を買いに来ることもあった。

要は原宿も東京中どこにでもあったようなそんな街のひとつだったかなと個人的には思うのですが。

世田谷三軒茶屋あたりも下町っぽい雰囲気あるし。



原宿については、カワイイ文化の好きな子達が集まる半面、ボスのような大人な人達にファッション音楽関係等の業界人等々、流行に敏感な人間も集うような街でもあって。



店が終わった後、たまに夕飯をご馳走になることもあり、自分ひとりではなかなか入りずらいような店もボスが一緒なので、なんの抵抗感もなく入店できた。 



初めて代官山にあるメキシコ料理店に連れて行ってもらった時のこと


ボス「◯◯君、タコスって食べた事ある?」

ワタシ「いや無いですけど、なんですか?そのタコスとかいうやつって」


これが1つの例で。

何も知らない18,9の子供にとって、そのような刺激的な時間空間、楽しくないわけがない。



都内を歩いていたり飲食店等で、たまに有名人に遭遇することがある。


ボスが住んでいた店の近くの自宅マンションにも芸能人が住んでいて、それはボスにとっても向こうにとってもただの隣の住人という関係。



一番最初にある芸能人を見かけたのは、突然の雨が降り出した日の事で。


「キャ〜」なんて声とともに明治通りから雨宿り的に店に飛び込んできたのが、傘を持っていなかったアン・ルイス、アンさん。

桑名さんと小走りで腕を組んで入ってきた。


ボスも普通の近所の知り合いに挨拶する風で

「だいじょーぶ?」なんて話し掛けるわけだけど、マンションまでは数十メートルの距離だったので、そこからまた走って帰っていった。

それから何回か店の前を通り過ぎる姿を見かけた。


サーカスという男2女2のボーカルグループのセンターの女性(その前はピーマン?という3人組グループだったかな)も同じマンションの住人。


店に客として来たのが、谷村新司さんのいたアリスのキンちゃん。

物静かな人。


それと三浦友和さん。

背が高くてカッコよかった印象。


それこそ芸能人だな、なんて思った人が

バラが咲いたのマイク眞木さん。

サーファーみたいな風貌でカッコよかったんだよね。


小さい一人乗りの車?で店に乗り付けて外から中を伺ってボスに「元気ー?」なんて調子で声掛けてきて。


全てが普通の日常、当たり前の風景。


他には洋七洋八B&Bのレコードのジャケ写に使う衣装のことで、スタイリストが店に来てアロハを貸し出したりと、店にいることそれがもう全て楽しい時間。


ボスは高倉健さんと知り合いではなかったけれど


所ジョージさんは普通の友人。

エーちゃんはジムで一緒。


あの人もこの人も知り合い?

近くにいるとそんなことを感じてしまう。



芸能人以外で見かけた人。


キャプテン・サンタありますでしょ?

あれ確かウチの実家近くの墨田区押上にお店あった?かな。

もしかして、あそこが最初かもで。


よく得意先までオヤジを車で送っていた時に「何だろ、この店」と思いながらその店の前を通り過ぎていた。


結局、店には入ることはなかったのだけど、なんとなく自分の好きな雰囲気が伝わってきていて。


車を停める場所が近くになかったことで立ち寄らなかったことはあって、それに営業してるんだか閉まってるんだか、よくわからなかったお店というイメージから店内には入らなかった。


そんなお店のオーナーが、青学のところに行列ができる程賑わった店、ボート・ハウスの社長だったことを後に知ったのだけど、この人もたまにボスの店に来ていた。


あの頃も色々なお店ありましたよね。


BEEMSにSHIPS、CREW❜S、SEA❜Sとかのプリントしてあるトレーナー着てれば🆗みたいな。


サークルで使おうとした「フランスパン抱えたドナルドダック」と形容されたオリジナルトレーナーも、そんな流行りがあったからに他ならない。



大学名をプリントしたスタジャンにトレーナー等で個人的にお洒落だなと思ったのは

「Sophia Univ.」(上智大学)に

「St.Paul❜s univ.」(立教大学)


バンカラ大学の自分にとっては

負けました、といった感じ。


◯◯大学と直接プリントしないことからしてお洒落。




ボスから「今来てたのは、ボートハウスの社長だよ」と教えられた大柄な人物=キャプテン・サンタの社長は


まさにアイビーボーイ!みたいな人。

正ちゃん帽被って。


他にプレッピーの福田さんという方。

小柄な人。プラスチックスというテクノグループの。


とか源氏の社長とか、ほんと色々な人がボスのところに遊びに来ていた。


あの人達どこかしらで繋がっていた様子で、なんというか同時期にお店を立ちあげた者通し、通じ合うものがあったんだろうなと。


なんだか、そんな中にいると勘違いしそうになる


ただの使えないヘルパーなのに。。


自分も片隅だけど同じ土俵にいるような気分になるという


ただの使えないヘルパーなのに。。


振り返ると、あそこらへんの誰かにくっついていたら人生変わってたかもとか思ったりするのね。


どーも、かすりっぱなしの人生で

おっと見逃し💦

惜しい〜みたいな


ボスみたいなお店とか雑貨屋。

そういう類のお店は今でも見ていて楽しい気分になれる。


代官山にあったハリウッドランチマーケット。渋谷ファイヤー通りにあった文化屋雑貨店とか店内の商品を見ているだけで面白かった。


文化屋雑貨店と同じ建物の2階にメルスクラブという喫茶店があったのだけど、ここはクールスのメンバーも立ち寄ってたりしていたアメリカン!な雰囲気のあった喫茶店。

ピンボールやサッカーゲームが置いてあって、自由に遊べる、そんな喫茶店。


何回か行った時に、本物のクールスに会った。


横山君と入れ替りに脱退した元クールスの

PIPPIさんというリードボーカル担当の人。

勝新太郎さんの警視Kというドラマに脱退後に出てたりしてましたけど。

自分がお店に入ろうとした時に2階から降りてきた。


「あ、ピッピだ」と固まってしまい声が出なかった。


あそこら辺にいると、たまにそんなことがある。

たぶん柴田理恵さんにそれと鼻から豆出す人?も原宿の居酒屋で遭遇して、まだそんなに売れてない頃に。あの芸をやってくれてすぐ店を出て行った。


雑貨屋では、御茶ノ水駿河台下にもガラクタ貿易というお店があり、そこには昔、兄が作ったオリジナルのトレイを売り込みに行ったことがあった。

そこでは扱ってくれず他の問屋で買ってもらったのだけど。


雰囲気あるのよ?トレイ。

ニーズに合わなかった?かな。


ボス、ハーレー乗っていたでしょ?

なのでハーレー仲間も来る、原宿のお店に。


ダダダダダダっとうるさいじゃない、ハーレー。遠くからでもすぐわかる爆音で。


クールスのメンバーも、そんなバイク仲間のグループの中の人達に過ぎず、ボスの知り合い。

1番よくお店に遊びに来ていた。



ボスにバイトしていて言われたこと。

「◯◯君、ウチの雰囲気じゃないのよねぇ、ちょっとこれ着てみない?」と。


着させられたのが、白のペインターパンツに、上は生成りのGジャンをパステルっぽいカラーに染めたやつを合わせられて。

Gジャンの下にはこれもまたグレーの生地のトレーナーを、ダイロンでカラフルに染めたものを着用と。


自分にはカラフル過ぎてダメ。


全然あわないもの、そんな原宿風?なスタイルは。着たくなかったし。


店のイメージのために着るのはいいにしても、それを着て50ccのバイク、スーパーカブでボスの指示に従って商品を積んで指定のお店に届ける。

それは人で賑わう竹下通りの中にも恵比寿辺りの路面の店にも。


信号待ちの時もその格好でいることに、自意識過剰かもしれないけど、誰も見ちゃいないにしても、自分の意に反したスタイルで「原宿風」の若い子でいることが、どうにもこうにもイヤでイヤで仕方なかった。


今だったら逆にカッコいいと思えたかもしれないけど、当時はそうは思えなかった。



アメリカン・グラフィティみたいにベスパだったら、まだよかった。