近所の幼馴染、ヒロとテツ兄弟のお母さんが亡くなった。
オレは兄貴のヒロと同級で、
幼い頃は、いつも3人つるんで、転げるように遊んでいた。
オレんちは、親が共働きだったから
学校が終わると、そのままヒロの家に直行した。
文字通り、ランドセルのままだ。
おやつをもらい、たまに夕飯まで食った。
だから、おばちゃんはオレの“育ての親”でもあった。
兄弟の家は鉄工所だった。
当時は職人さんも大勢いたし、ジジババも健在だったし
犬やネコも何匹もいた。
だから、おばちゃんは休みなく動いていた。
そんなおばちゃんがパーキンソン病になった。
人一倍動いていた人が、自由を奪われてしまった。
自分の体が、自分の思い通りに動かないのはどんな気持ちだろう。
でも、おばちゃんは運命を受け入れ、静かに必死に生きた。
泣き言を言わず、イラつかず、投げず、最後まで生きた。
そんなおばちゃんを残し、先に旦那さんが亡くなった。
隣組のオレは、葬儀の手伝いに行った。
オレを見つけたおばちゃんが、オレのところに来た。
なんとかがんばって歩いてきて、オレの手を取り、震える声で言った
「デコちゃん、よろしくおねがいしますね」
母から「おばちゃんが亡くなった」と聞いたとき
オレはバイクで移動の最中だった。
おばちゃんの顔が浮かび、胸がふさがった。
涙で前が見えなくなり、バイクを何度も止めた。
オレはなんにもしてあげられなかった。
ヘタレだから、声も掛けられないどころか、病気のおばちゃんを避けた。
悔やまれてしょうがないが、今さら遅い。
棺を家に運び込んだ時、おばちゃんを見た。
病気から開放され、きれいな顔で、まっすぐな姿勢で横になっていた。
おばちゃん、ごめんね。安らかにね。
※ おばちゃんの葬儀で、帳場を務めたオレは、
香典帳の表紙に書く、おばちゃんの名前を間違えた。
その上から無理から直した字は、よりいっそう汚くなった。
ヒロとテツ兄弟に「ま、おばちゃんなら許してくれるだろ」と言うと
ふたりは笑っていた。