涙あふれて | MY LIFE AS A FOOTBALL 2

MY LIFE AS A FOOTBALL 2

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


近所の幼馴染、ヒロとテツ兄弟のお母さんが亡くなった。

オレは兄貴のヒロと同級で、
幼い頃は、いつも3人つるんで、転げるように遊んでいた。

オレんちは、親が共働きだったから
学校が終わると、そのままヒロの家に直行した。

文字通り、ランドセルのままだ。
おやつをもらい、たまに夕飯まで食った。
だから、おばちゃんはオレの“育ての親”でもあった。

兄弟の家は鉄工所だった。

当時は職人さんも大勢いたし、ジジババも健在だったし
犬やネコも何匹もいた。

だから、おばちゃんは休みなく動いていた。
そんなおばちゃんがパーキンソン病になった。

人一倍動いていた人が、自由を奪われてしまった。
自分の体が、自分の思い通りに動かないのはどんな気持ちだろう。

でも、おばちゃんは運命を受け入れ、静かに必死に生きた。
泣き言を言わず、イラつかず、投げず、最後まで生きた。

そんなおばちゃんを残し、先に旦那さんが亡くなった。
隣組のオレは、葬儀の手伝いに行った。

オレを見つけたおばちゃんが、オレのところに来た。
なんとかがんばって歩いてきて、オレの手を取り、震える声で言った

「デコちゃん、よろしくおねがいしますね」


 母から「おばちゃんが亡くなった」と聞いたとき
オレはバイクで移動の最中だった。

おばちゃんの顔が浮かび、胸がふさがった。
涙で前が見えなくなり、バイクを何度も止めた。

オレはなんにもしてあげられなかった。
ヘタレだから、声も掛けられないどころか、病気のおばちゃんを避けた。

悔やまれてしょうがないが、今さら遅い。
棺を家に運び込んだ時、おばちゃんを見た。

病気から開放され、きれいな顔で、まっすぐな姿勢で横になっていた。
おばちゃん、ごめんね。安らかにね。

 ※ おばちゃんの葬儀で、帳場を務めたオレは、
   香典帳の表紙に書く、おばちゃんの名前を間違えた。
   その上から無理から直した字は、よりいっそう汚くなった。

   ヒロとテツ兄弟に「ま、おばちゃんなら許してくれるだろ」と言うと
   ふたりは笑っていた。