庄司陽子さんの漫画、『生徒諸君』シリーズ主人公
“ナッキー”の言葉から頂きました。
実は、『生徒諸君!Kids』の連載がはじまったころ
偶然読み・・・作画崩壊
※過去に友人と庄司陽子さんの漫画について話した時、
友人が“作画崩壊”と言っていたのですが・・・
その時は、「?」そうなの「?」って
感じでわかってなかったんです(知ってなかったと言うべきか?)
どの表情になってたのか?とにかくショックで・・・
友人の言っていた意味を理解
さすがに、読む気になれず途中で読むのを止めました。。。
それでも、
庄司陽子さんの人に対する想いすごく好きなんです
この度、漫画サイトで著書をお見かけし
いろいろ言われているでしょうに、書き続けていらっしゃること
そして、単行本化されていること
やはり、読んでみよう!
この想いにかられ、無料で読めるものを読んでおりました。
わたしにとって、頂く言葉、人生の参考にさせて頂く言葉が
とても多いです。
さて、全てに裏表がある
「全て表裏一体である」と私は常々書いております。
“学ぶことは一生の道楽”
逆?を言えば
“学ぶことは一生の苦難”?
“遊ぶことは一生の苦難”?
ちょっと、捉える視点を
「学び=遊び」に 変えて表現
“遊ぶことも一生の道楽”?
という風に、当人の捉え方次第で
解釈が変わっていきます。
何を学びと捉え、何を遊びと捉えるか。
何を道楽と捉え、何を苦難と捉えるか。
私は自分自身で奇跡の体験をしてきているから
思うのです。
苦難と道楽は
紙一重あるいは表裏一体
全ての体験を自分の財産と思えるか
渦中に居る時には、思えませんけどね(笑)
それでも、自分の望む未来を想って・・・
今している体験が、未来に役にたつから体験していると
深層(無意識層)に浸透させていく
そして、必要な時が来たら活用できる自分でいたいと望み
“精進”
自分の為、他の為・・・自分とは、自らを分けるとも解釈できます。
自分の為でありながら、他の誰かの役にもたつことをも願う。
それぞれの道(未知)に
幸あらんことを
※私が使う「自由」の定義
仏教に由来 「自らに由る」
各自、それぞれのペースで
自由意思のもと
周りと調和しながら
自分自身を生きる
Have a good time!
I'm so happy for you.
自由にブログない検索し、どんどん、自分(己)の生き方、個々論の参考にしてもらえたら
とっても、嬉しいです^^
人は、人と人の間で生きて人間
ご縁に感謝
後記
実はですね、さっそく日常の中で
庄司陽子さんの漫画を読んで思考したことをメモっていたのが
役に立ちました
なるようになっている。
タイムリーだと、思うことが増えてます
自分の感情を感じ、理性で思考し
感情が納得するところで
実践していくと
上手く流れていっているように思います。
上手く行ってないと感じる時は、時がまだ来てない。
焦るなと言われているように感じています。
“待つ”
期を待つ