両親がようよう生活が出来なくなってる。
私がカバーしてないと、生活が成り立つてない。
私が家事をすれば済むけど、このままじゃ、それでは済まなくなる。
そのそのこの家の現実を確認して欲しい。
そう頼んだ時、言ったよね。
怒鳴りつけたよね。
現実が見えてないのはお前だ
コッチは稼ぎの少ない旦那、しかも職場で揉めて、生活できないから扶養内でパートして、子供は成人しても自分で起きて間に合うように大学に行くことすら出来ない。
抱えてるものが違う。
現実が見えてないのはお前だ!
それで、急性ストレス障害の大きな発作を起こして。
それでも治療を受けられないまま、両親と暮らした。
母の病状がいよいよ悪くなって、母を騙してかかりつけ医に駆け込んで診てもらって、
次の日は総合病院の整形。
検査しても問題は見つからず、絶対おかしいと伝えても、老人はこんなもの、調べても意味はないと言われて、取り合ってもらえず。
私が何度も倒れて、その間目が行き届かない、母が真冬の外へコートも着ずに出るようになって、それ以外はソファで蹲って痛い痛いと言うだけで、寒い寒いとヒーターの前で布団を被って、食事もまともにできなくなって、
私が倒れて公的機関に電話した。
少しの間母を見て欲しい。私はもう立ち上がることもできないから、と。
そしたら、妹に連絡がいって呼び出されて、家に来て。
トイレの前で動けなくなった私に「どこがシンドイのよ」と怒鳴りつけた。何日も寝てなくて食べてなくて、吐気でトイレから出たら倒れて立ち上がれなくて、思わず、シンドイと泣いた私に。
股関節が痛みと力が抜けて折れるのとで、階段から落ちた時、何が起こった分からない私をドアを開けて見つけて「びっくりー」とだけ言って、戻っていった。
5分くらい立ち上がれず、冷たい床にそのままの姿勢で居た。
1度、老人専門病院を受診するかと言われて、脳のCTと、認知機能検査を受けた。
私は必死に伝えた。
何かがおかしいんです。病気かケガが隠れてる。認知以外にあるはずだから。
前頭葉のシュリンクだけが見つかった。
他は健康だと言われた。
母が救急搬送された。
朝になって診療時間が始まったら戻ってきて内科へ行け、と言われて。返された。
転倒した原因も見つけてもらえず、骨折もなくも頭もぶつけてない。それだけ。
なんとか連れて帰ったが、玄関脇の部屋のソファに寝かせるのが精一杯で、トイレにも連れていけない。
それでもトイレと言うから、なんとか抱えて連れて行こうとした。でも、母の足は萎えていて、崩れ落ちて、床に尻もちをついてしまった。私一人ではムリだった。それでもトイレまで連れて行って、便座に座らそうとした時、便座の上に落ちるように座って、身体を酷くぶつけた。
痛みがひどく動けなくなって、また救急搬送された。
救急外来で、また、レントゲンも骨折なし打ち身だけ。朝になったら総合内科を……
どうやって?こんなに動けないのに、今も車椅子になんとか座ってるのに、連れて帰って、また連れてこいと?
何度も言ったけれど、助けてもらえなかった。
家に戻ると、ケアマネが来て、総合内科に連れていきたい、と言ってあったのに、
施設を見つけてきた
今ならコロナで空きがある
これを逃せば無くなる
即決しろ
私が頼んだのは、総合内科を受診させること!
施設に入れずに、トイレにも行けない、ベットにも連れていけない、どうするんだ!
ケアマネに迫られて、違う!と会ってる間に、
妹と父とで決められてしまった。
私には面倒見られるわけがない。それが分かったんだから、施設しかない、と。
母を家の中で殺すわけにはいかない。私に出来ない、私が抱えきれなくて落とした。
私のせい。
私が病弱で、既に発話もまともに出来なくて吃って、髪は染めるまもなく、最後に結び直した日も分からない、ザンバラの白髪。
夜もパジャマに着替えてられないから、服のまま寝て、いつでも飛び出せるように。そのヨレヨレの服のまま。
まともに言葉も話せない、汚いババアが、何を言っても聞いてもらえなかった。
母はそのまま、施設に入れられた。
私に騙したと、何処にもやらないでくれと頼む母。
その相手は私に押し付けられた。 妹は助けてくれなかった。
迎えが来るまで、母をだまし続けた。
安心させるために。
甲状腺の薬が効いて、認知機能が戻った。
施設の人も、正直、一番認知状態は良い人、ここにいる理由すら分からないと職員同士で話してる。そう言ってもらって、帰れると思った。
帰れますか。それにリハビリ、看護師、ケアマネみんなが帰れると言った。
その場で帰るための相談が始まった。
家に帰って一番に、妹にそれを連絡した。
すると、そのまま本入所させる約束だったはずだ。何故勝手に変更したのか。
説明した。コレが、今が、家に帰れるチャンスかも知れない。今なら認知の問題はない。
家に帰ったと分かる。生活ができる状態。
これを逃したら、このまま家に1度も入ることもなく、母の人生は終わるかもしれない。
1日か、1週間か、分からない。でも、ダメならすぐに受け入れてもらえる言質はとってある。
最後のチャンスに賭けたい。逃したくない。
私が勝手に変更したこと、前もっての計画、約束と違うこと。それらに腹を立てて、お前に面倒見られるわけがない。病弱で、まともに何もできないのに。前にもついていながら救急搬送させただろ。
諦めて、従うしかなかった。私の病弱を形に取られて話されたら、何も言えない。従うしかなかった。
勝手なことをしました。施設の皆さんに帰れるよと言われて、本気にしました。前もっての約束も計画も勝手に反故にしました。
申し訳有りません。母の命を懸けるような危険に合わすところでした。アナタが止めてくれなかったら、ケガを、それ以上の目に合わせたかもしれません。
そう言って、諦めた。
アレが、最後のチャンスだった。
本当に最後になった。
その後、何度か帰ったけれど、通院のため。
それでも慰めになった。
たった1、2泊の帰還。
その頃には歩けなくなっていて車椅子、妹も泊まり込みで、夜間2時間おきのトイレ。ベッド脇のポータブルに座り直すだけ。
2人がかりだったけれど、たった二昼夜。それも1人でなく、妹と。
私にとっては楽な仕事だった。
それを妹は、二度とできない大変だった、と。
体中が痛くて、何日も大変だったと。
正直、こんなくらい、それもたった二晩。
私は前よりよっぽど楽だった。
一晩に2人がトイレに通うのを、聞き耳立てて、上がってベッドに入るまで確認して。それが一人につき3〜4回。
様子がおかしいと部屋から出て見に行く。
その合間を、寝て。
母より先に起きて、
時には寝室から一階トイレまで掃除して、多い時は1日4回。1度の掃除に2度の水拭き。30分から1時間近くかけて。
洗濯。
時には使い捨て手袋を使い切って、来る途中の妹に頼んだ。
いつまでも届かない手袋。
サイズは?
素材は?
何色がいい?
エンボスとか有るわ
いくつか買っとく?◯枚入とからしいけど
言った
素手で汚物処理をしてるから手袋が必要。出来るだけ速く欲しい。
それまで、私がどんな生活をしてるかすら、知らなかった。
最後のチャンス。
奪われた。
病院に行くチャンスも
施設からいよいよダメだと遅れ返されて
入院しても、ひと月以上の検査。やっと血管炎だと分かった時には、確定検査すらできないほど認知状態は悪化していた。院長が担当医。信頼してたのに、いつまでも病名すら分からない。度重なる検査で、2度の造影剤使用、腎臓の数値はどんどん悪くなった。
認知の闇の中にどんどん落ちていく母、食べ物も食べられず。その合間の一瞬の母に戻った時には、酷い抑鬱で、『もう死にたい』それが、母が言えた最後の言葉。正気の戻った合間に出た本心。そしてすぐに、認知の闇の中に落ちていく。
診断から数日後、動脈瘤破裂でクモ膜下出血。
ICUの医師は、老人に手術するかどうか、尋ねた。やっと血管炎が分かって、これから治療が受けられる。1度だけ賭けてみたい。諦められない。
出血量は少ないが深い位置。代わりにコイルを入れるには悪くなかった。手術は腎機能と引き換え。
不思議と、コイル塞栓術は成功すると思った。不思議な確証があった。
施術が終わって、意識が戻ると、認知の闇から逃れて、母になっていた。話せはしなかったけれど、目を見れば、目を合わせれば、母に戻ったていると分かった。意思疎通も出来た。医師の前では声も出して名前も名乗った。
血管炎の治療も始まった。
やっと、根本的な病気の治療が。
たくさんの薬の影響で、腸に菌が見つかった。隔離された。
そこが母の認知状態の分岐点だった。
病棟に戻っても、起きられる時間がなくなっていった。
見舞っても、目が開く程度。
それでも頑張ってくれた。
ICUから、ひと月で、母の人生は閉じた。
施設も病院も、妹が見舞ったのは、呼び出された時だけ。
自分の意思で来たのは、何日も電話が繋がらないと言ってやってきた1度。
そらそうでしょ。
もうとっくに、母は、電話を掛けることも失って、次に受けることも失って。
今頃気がついたの?いつから掛けてないの?
もちろん私は知ってる。母の電話を管理して来たから。だから、今頃?驚いた。何日前の話してる?
もしこれが病院だなかったら、今頃来ても、母は終わってたよね。
呆れて。
脳手術の後も、呼び出されない限り、来なかった。自分の意思では、来なかった。
最後の電話で呼び出されると悟ってから、何度も練習した。
私は父を連れていきます。
妹へは、病院から連絡してもらえませんか。私からはしませんから。
最後くらい、自分の母のために、義務を果たして欲しかった。
毎日24時間、いつなるか分からない電話を、鳴らないほうが良いはずの電話を、待ち続ける気持ちを。
病院からの電話が、どういものなのかを。
私たちが着いてから3時間。夜の道、1時間もあれば着く道を、妹が来たのは明くる日。
私は看護師医師に頼んだ。全員揃うまで待ってくださいと。
揃うまで、母に頼み続けた。
もうちょっと待ってやって。
もう痛い所はないでしょう?
妹が来るまで、待ってやって。
そういいながら身体を撫でて、頼んだ。
意味のない酸素マスクを直してやって、爪が変色するスピードを時間経過と見比べて、
もう少し、いてあげて。
待ってあげて。
もう来るから
向かってるから
そういうものの一切を、妹は知らない
想像すらしない
自分一人が悲しくて
自分一人が傷つけられて
自分一人が病気になって
私には、大丈夫か?どうしてるのひと言もなく。
自分のことだけ書かれたメッセージを送りつけて
それで辛いんだって
妹に怒鳴られた日から病になって
私は妹が来る前から、倒れて、食べられず、寝られず。
妹が来る頃には、69kg近かった体重は52kg台になってた。それにも気が付かなかったよね。
それとも、ダイエットでもしてると思った?
気がついたのは、母だけ
あんな状態で、
自分に何が起こっているかもわかりもしないのに
私の白髪が伸びてること、そろそろ染めや。今度は何色にする?楽しそうに色を考えてた。
せっかくのカッコいいお尻が台無しや、痩せたらアカンで。
アナタが今頃病気なのは、過労じゃないでしょ。
診断されたストレスは、母が去る時に、自分がどうしたか。それを自分でどう抱えていくのか。
今は犯人探し。手ごろな攻撃しやすい相手を攻撃して幸せになってる。
だけどね、
それが過ぎたら、別の段階が始まるんだよ。
いつまでも手頃な標的に八つ当たりしてはいられないの。
そこが過ぎたら、次の段階が始まるんだよ。
その時には、アナタが攻撃して心を壊して病気にした人間は、もう、アナタのためには何もしません。
自分の命を守るために、アナタは最も有害だと認識されたの。
同じ母を亡くして、同じ母のために頑張った人間を、壊れるまで攻撃してしまったね。
旦那まで使って。
おかげでアナタは、最も有害で必要のない人間だとされました。
私にも、父にも。
もう、父も、あなたには遺産も渡さないそうです。
私はそれを聞かされても、何も思いません。
なぜならそれは、私の問題じゃないから。
アナタが一生抱えて生きてくたくさんの問題のうちの、つまらない1つに過ぎないから。
今後アナタは、自分の母親の法事にも呼ばれません。
父に何かあっても、あなたには連絡はいきません。
これまでみたいに待っているだけで情報が降ってくる生活は、終わりました。
もしもあなたの家族に何かあって、戻れる場所が欲しくても、アナタが宣言した通り、ココはアナタの家族ではなくなりました。
アナタの望んだ通りになりました。
全て、アナタの、望みのままです。
どうぞ、シッカリと、抱えて行ってください。
もう、誰も邪魔はしません。
アナタが邪魔だといった、アナタの父と、アナタの姉は、自分たちの身を守るために、有害なものと縁を切ることになりました。
これから、どうぞお幸せに。
アナタが選んだ人と、
アナタが選んだ道を歩んでください。
私達と縁を切ることが、アナタの望みでしたね。
叶いましたね。
どうぞ、お幸せに。