『育ちが良いか悪いか判断する箇所』って、
見えたのね。
で
(あまり気分よろしくないな)と、
中身も読まずに思ってる。
『育ちが良いか・そうで無いか』
が判るのって、
それこそ
〔育ちが良いか・そうで無いかに言及したり、
それを判断基準にしない事〕
じゃないかな?
成人してある程度にも成れば、
『育ち』なんてものに頼ってる場合じゃないし、
〔自分で自分を育て、
責任持たなきゃいけない〕でしょ?
もちろん、育ちにハンデがあれば、
そら、
要らぬ努力や苦労をしなきゃならないし、
スタート時点で不利なのは否めない。
『元々の育ちの良い人』とは
言わば
『天然と養殖』
どうやったって
『ナニか』
が違う。
だけど、
それだけ自分の責任で立ってきた証でもある訳だから、
その違いを云々するのは下品なことだし、
努力だって評価されるべきだと思う。
だからと言って、
『恵まれた環境に生まれ育つこと』
も
『恵まれない環境に生まれ育つこと』と
同じくらい
〔本人には選択の余地は、無い〕。
そこを云々されたところで、
どうしようも無いし、
『恵まれた環境に生まれ育つことの
努力や苦労』
だって、存在する。
ソコに気が付いたとしても、
あえてソレには触れないで、
「お互い、それぞれ、
いろいろ有るもの、ね」
って思い合えるところに、
その人の価値みたいなものが表れるんじゃないかな。
『育ち』
を語るのでは無くて、
その人の
教養や教育、
他人や生き方に対する
『心構え』
に目を向けて、
その人の
『人となり』
を受け止める方が、
お互い心地好いように思うんだけどな。
ま、『お行儀』は、良い方が、いいね。